Saiyan
Killer
第61話
迷いから抜け出せないマーリンに、ヤムチャが適当に言葉をかける。
「…要するに、その悪者をぱぱっとやっつけて、ぱぱっと帰ってくれば
いいんじゃないのか? まぁ、少し修行は遅れるけど、その間は俺も
自分の修行が出来るし、そんなに悩むもんでもないんじゃないのか?」
少女の心を映すように、どんどんと暗くなる表情のマーリンを気遣ってか
妙に明るく提案するヤムチャだったが、一向に少女の表情は変わらない。
「それは…無理なんだ…」
そう、搾り出すようにマーリンがつぶやく。
「…さっきの依頼人の星は、ここから約28万光年の彼方のところにある。
わたしの宇宙船でも、普通に飛べば3ヶ月は間違いなくかかる距離だ…」
「おい…それじゃ今から行っても間に合わないんじゃないのか…?」
「普通に飛べばそれぐらいは掛かる。でも、ある航法を使えば、一週間
ほどで着く事も出来る…ただ、それを使ってしまうと、宇宙船のエネルギー
はほとんど空にもなってしまう。そうなれば、再チャージに少なくとも
1年は掛かってしまうんだ」
科学的なことはよく判らないヤムチャだったが、飛ばせば飛ばすほど自動車
だって燃費が悪くなる事は知っている。それのようなものかと勝手に推測して
みる。
「…しかも、わたしの宇宙船は特注で、使ってるエネルギーも高価な
ものだ。どこででも手に入る、というものじゃない。あの星系でそれが
手に入るかも判らない…」
ますますちんぷんかんぷんな話だったが、それでもはっきりと一つだけヤムチャ
にも理解が出来た。つまり、今、マーリンがその星へ行くと言う事は、地球に
再びやって来れるのがいつになるか判らない、という事なのだ。あるいは、二度
と来れない可能性すらある…。
ようやくヤムチャも、少女の深刻さが理解できたのだった。
重苦しい表情を貼り付けたまま、時間だけが過ぎていく。気がつけばすでに
日付が変わる時間になっていた。
はぁ、とため息を漏らすマーリン。しかし、いくら考えたところで、本当の
気持ちは最初から決まってはいるのだ。ただ、それが本当に正しい決断なのか、
その自信が持てないだけの事だった。
ちらりとヤムチャを見やる。ヤムチャも難しい顔をしてはいるが、結局決める
のはマーリンだと、その目が語っていた。
もう何度目だったか判らない、大きなため息を吐く。肺の中を空っぽにするよう
に、全ての空気を絞り出すような長い長いため息をつき、意を決したようにヤム
チャに自分の決断を告げた。
第62話
「…………わたしは…地球に残る。残って、ソン・ゴクウと戦う…」
そう小さく感情を押し殺したような口調で少女の口から出た言葉を
ヤムチャはただ、そうか、とだけ受け止めた。それが意外だったのか、
あるいは予想通りだったのかは、彼の表情からは読み取る事は出来な
かった。
「それじゃ、明日もまた修行だな。ちょっと夜更かしが過ぎちまった…
いい加減に寝ないと明日が辛いぞ」
そう言って寝る準備を始めるヤムチャ。自分の決断を否定も肯定もしない
ヤムチャに不満を感じながらも、マーリンも寝袋に収まる。
身体は睡眠を欲していた。昼間の過酷な修行により、疲労は身体の芯に
さえきている。しかし気持ちが治まらない。横になっても少しも眠くは
ならなかった。
うとうともせずに、思考がぐるぐると頭の中を回る。もう決めた事なのに
何度も何度もさっきの決断をなぞっていた。
ふと気づけば1時間ほどが過ぎていた。寝袋から顔だけを出してヤムチャを
見る。驚いた事に、ヤムチャも眠ってはいなかった。毛布に包まりながら
も、目だけははっきりと開いて中空を見つめていた。
「ヤムチャ…眠れないのか…?」
そう小さく声を掛ける。
「…………」
返事は無い。一瞬だけマーリンの方をちらりと見て、すぐにまた視線は
何も無い空間に戻る。
「……っ…」
何かがのどから出掛かったが、それをぐっ、と抑える。すると、突然
ヤムチャの方から声がかけられた。
「早く寝ろって言っただろ…何か、眠れない理由でもあるのか…?」
当たり前だ、とマーリンは思う。自分はエゴのために一つの星を見捨てた
のだ。それが心に重くのしかからない方がどうかしている。それが理解
出来ないヤムチャではあるまい。ともすれば大声で叫びだしたくなる気持ち
を抑えて、出来るだけ冷静にヤムチャに問うた。
「お前こそ、どうして眠らない…わたしが眠れないのは判ってるくせに…」
そうぽつりと返す。
「何でだよ。それはお前が決めた事なんじゃないのか。たったの1時間で
後悔するような決意なんかするんじゃねぇっての」
「……っ!! 後悔なんてしてないっ! でも…でも…わたしは…」
マーリンは顔をくしゃくしゃにして、ヤムチャに反論する。
「…大きな声出すなよ。近所迷惑じゃねぇか」
そう言うとヤムチャはようやくマーリンに向きなおり、にっ、と笑う。
「本当はその星の人たちも助けたいんだろ? でも悟空とも戦いたい。
まったく欲張りなお姫様だな、おまえは…」
「………」
確かにそれが出来れば、どんなにいいかと思う。しかし、それは絶対に
不可能だと判っている。だからこその苦渋の決断だったのだ。そんな
事を今更言い立てるヤムチャの気が知れない。
「ヤム……」
それ以上は何も言わないで欲しい、そう思って口を開きかけた瞬間、
ヤムチャが再び毛布を被り直し、少女に告げる。
「ま…何とかしてみようじゃねぇか。それをさ。とにかくさっさと寝ろ。
明日は日が登ったらすぐに出るんだからな」
「え…? そ…それはどういう…」
ヤムチャの言葉の意味がつかめず、何度も問い掛けるマーリンだったが、
やがて聞こえてきたいびきに諦めるしかなかった。
第63話
「…おい…マーリン…いい加減に起きろ……!」
どこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。ゆっくりと目を開けると、すでに
出かける用意を整えたヤムチャがそばに立っていた。
「……? ヤムチャ…?」
どうやら、昨日はあれほど眠れないと思っていたにも拘らず、いつの間にか
眠りに落ちていたようだった。目をこすりながら、寝袋に包まったまま、
あたりをゴロゴロと転がる。
「…なんだ…まだこんな時間じゃないか…もう少し寝かせて…」
「ったく、相変わらず寝起きの悪さはピカ一だな。昨日言っただろ。今日
は出かけるんだから、さっさと用意しな」
そう言われてみれば、昨日寝る間際にそんな事を聞いた気もする。徐々に
意識が覚醒していく。そして、それと同時に昨晩のヤムチャの不可解な
言葉もよみがえる。
「ヤムチャ…いったい…何を考えてるんだ……? こんな時間にどこへ
行くと言うんだ…」
ようやく寝袋から抜け出て起き上がり、改めてヤムチャに問う。色々な
物が詰め込まれているのだろう、大きな麻袋を背負ったまま、ヤムチャが
昨日と同じ笑みを浮かべて答えた。
「……神様のところさ」
何とか数分で顔を洗い、歯を磨き、適当に支度を整えて洞窟を後にする。
見つかると面倒な事になるから、と言って、気は限界まで下げての飛行を
1時間ほど続けた先に、それはあった。いかなるテクノロジーの産物なのか、
空中にぽつんと浮かぶ、半球型の建造物。いや、浮かんでいると言うよりは
空中のその場所に、まるで元からあったかのようにはめ込まれてると言った
印象だ。何かそこだけが異なる次元のような。
道中、マーリンはヤムチャに色々と神様の事について質問していた。
神様とは、いわゆる『神』の事なのか、あまりその手の事に詳しくない
マーリンの持つイメージの神とは、すなわちこの世の造物主であり、ある
種の真理である。そんなものがそうおいそれと居る訳が無い。
それに対するヤムチャの答えも要領を得なかった。よくは判らんけど、
とにかく偉い人(?)、という程度の認識で、まったく話は噛み合わなか
った。ゆえにマーリンも半信半疑だったのだが、この神殿の雰囲気から
すれば、あながち眉唾とも思えなかった。
「よし…ゆっくり降りよう…気は目いっぱい下げたままだぞ…」
何故か声までヒソヒソと小声で話すヤムチャ。マーリンにも、何か妙な
緊張感が伝わってくる。
音も無く神殿に降り立つ。そしてそのまま、静かに静かにヤムチャの後を
ついて、神殿の奥に入っていく。
「よし…ここだ…」
真っ白な扉の前。そこでようやくヤムチャは振り返り、にやりと笑って
マーリンに口を開いた。
「ようこそ、精神と時の部屋へ…!」
第64話
「精神と…時の部屋……?」
「そうだ。以前、サイヤ人が地球に来たって話はしただろ? その時に
俺や他の仲間はここ、神様の神殿で修行したんだ。それでこの部屋の
事も知ったし、一度だけ入った事もあったんだけど……まぁ、中に
入れば判るさ」
がちゃり、と扉を開ける。恐る恐る中を覗き込むマーリン。
「…っ……、な…なんだ…ここは…」
真っ白な、ただただ白い空間がそこには広がっていた。
「そこはよく判らないけど、なんか俺らが普段いるのとは違う世界らしい。
空気も薄いし、重力もやけに大きいから、修行にはもってこいだろ。
昔、俺も入ったけど、あの時は1時間も居られなかったぐらいでさ」
「………そう……なのか……」
ヤムチャほどの男でさえ、1日も持たないほどの空間。それが目の前に
広がる白い世界だと認識すると、わずかに身体が震えた。
そしてここまでくればマーリンにも理解できる。今からヤムチャはこの
白い闇の世界で自分に修行させるつもりなのだと。
「おまけに、ここの売りはもうひとつある。と言うか、こっちが本命なの
かな…。ここは中と外では時間の進み方が違うんだ。中での1年が、外
ではたったの1日に過ぎないのさ」
「な…なんだと……っ!?」
さすがにこれにはマーリンも度肝を抜かれた。そんなモノを作る技術は
聞いた事すら無い。やはり神の神殿を名乗っているのは伊達ではない、
と言う事なのか。にわかには信じられないが、もしそれが本当ならば
ヤムチャの昨日の言葉の謎が解ける。
「ま、百聞は一見にしかずってな。とりあえず入ってみ……ッ!?」
と、そこまで言いかけたヤムチャが、何を思ったか、マーリンをいきなり
蹴り飛ばして部屋に放り込んだ。そして有無を言わせず扉を閉める。
「…よ…よう…ミスターポポ。ずいぶんと早起きなんだな…」
「ミスターポポ、いつもはもっと早い。それよりヤムチャ、お前はここで
何をやってる?」
扉を閉めたヤムチャの背後には、無表情な男が立っていた。神様の付き人、
ミスターポポである。
「え…いや…何って…その……そう! 修行だよ! ほら、人造人間の
件は聞いてるだろ?」
「修行? お前がここで?」
「や…やだなぁ…へへ…俺以外に誰がいるって言うんだよ…」
何とか平静を保ちつつ、うまく切り抜けられそうだとヤムチャは思った。
しかし。
「さっき誰か先に入ったみたいだけど。もしかして変な事に精神と時の
部屋を使うつもりか?」
第65話
「ばっ…バカ言ってんじゃ…俺とマーリンはそんなんじゃ…!!」
「そうか。マーリンと言うか。あの女」
「しまっ…た…」
無表情なままのミスターポポだったが、気のせいか少し口元が笑った
ようにも見えた。うっかり口を滑らしてしまったヤムチャは、せっかくの
チャンスを潰してしまった事を、心の中でマーリンに詫びる。
ヤムチャの計画は、ここで1年とはいかずとも、半年は修行して力をつけ、
それで悟空に挑み、その後で例の星へ向かわせる、というものだった。中で
半年ならば外では半日に過ぎない。悟空と戦った後でも、また明日連絡する
と言っていた、あの星の人間からの最後の依頼に応える事が出来る…そう思っ
ていたのだが、こんなところでこんなヤツにまんまと一本取られるとはと、
情けなさに歯噛みするのだった。何が変な事するつもりか?だ。神様の付き人
のクセに、妙に俗っぽい発想しやがって…このムッツリニセインドめ…と心の
中でひたすらミスターポポを罵るヤムチャだった。
だが、ミスターポポはくるりと背を向けると、そのまま来た道を戻ろうと
する。意表を突かれ、思わずポポを呼び止める。
「…お…おい! 俺たちを放っておくのかよ…!」
「なんだ? 修行するんじゃないのか?」
「い……いや…そりゃするけど…」
「修行するなら、ミスターポポ止めない。変な事に使うなら止める。それ
だけ」
「え…いいのか…?……」
「良いも悪いも無い。あそこはそう言う部屋。それより早く行かなくて
いいのか? もう中で1日ぐらい過ぎてる」
「…!! ありがとよ、ミスターポポ!! 帰ったら礼にマーリンに
ぱふぱふさせてやるよ! ははっ!」
そう言うとヤムチャは扉を開け、中に飛び込んでいった。ポポをムッツリと
決め付けた、訳の判らない約束を残して。
「…あの娘には無理……」
ポポもそう小さくつぶやき、その場を後にする。ぱふぱふが無理なのか、
それとも何か別の未来が無理なのか。ポポの真意は、表情からは読み取る
事は出来なかった…。
第66話
「おいっ!! マーリン! 大丈夫かっ!?」
息せき切って、マーリンに遅れる事5分ほどで精神と時の部屋に入ってきた
ヤムチャの目に飛び込んできたものは…作り付けのベッドですやすやとのんきに
寝息を立てている少女の姿だった。
「……心配して損した…」
ややあってマーリンが目を覚ます。単に昼寝だったのか、いつものような
寝起きの悪さは見られず、起きて真っ先にヤムチャの存在に気がつくと
猛烈な勢いで食ってかかった。
「ヤムチャ!! いきなりこんな所に押し込んで、しかも丸一日も放って
おくなんて…いくら何でもあんまりだろうっ…!!」
さすがにそれは弁解のしようも無い。頭をかきながら悪い悪い、と謝る。
「でも、外じゃほんの5分ほどだったんだ。ほら」
そう言って時計を見せる。確かに洞窟を出たのが5時前で、ここに着いた
のがそれから1時間後で、時計は6時を少し過ぎた辺りを指していた。
それに対してマーリンのスカウターに内蔵された時計は、あれから27時間
が経過していた事を示している。
「なるほど…ほんとうにここの空間は外界とは時間の経過速度が違う
んだな…」
改めてマーリンが納得する。そして、薄々はヤムチャの意図に気がついては
いたが、それも改めて説明してもらった。たったの一日で修行を終え、悟空
と戦い、そして惑星ドーバをも救うという離れ業の計画を。
「…でも、こんな場所があるなら、もっと早くに来ればよかったんじゃないのか…」
そうマーリンがぶつぶつと不平を口にする。一応納得はしたものの、やはり
丸一日放置された事を根に持っているようだ。
「そう言うなって。俺だってここの事を思い出したのは昨日だし、それに
ここは神様の住んでるところなんだぜ? 俺やお前が気軽に来ていい
場所じゃないだろ。これしか方法が無いからやむを得ず、なんだよ」
まだ何か言いたそうなマーリンだったが、とりあえずはそれで収まった
ようだった。やれやれと胸をなでおろす。
「それで、一日ここで過ごした感想はどうだ?」
「…確かに環境としては楽ではないな。それでも、ここがマシに思える
星などいくらでもある。お前が言っていたほど厳しいとは感じないが」
「まぁ…俺が入った頃は、今より俺も全然弱かったからな…確かに
昔よりはきつくは感じないけど…」
そう言いつつも、入って真っ先に見た少女の寝姿を思い出す。冷静に
考えてみると、こんな環境の中で、それでも昼寝が出来るほどにリラッ
クスできるのは、尋常の神経では無いと思う。少女のこれまでの人生が
どれほどのものだったのか、ヤムチャには想像する事すら許されていない
気がした。
第67話
「そうか…それじゃ、その辺は修行にはあんまり有効じゃ無いかもな。
あくまで時間のメリットだけって考えた方がいいか…」
少しあてが外れはしたが、おおむね問題は無い。それに、効果が無いと
決まった訳でもない。少なくとも外界で修行するよりは負荷が大きい事に
間違いは無いのだ。
「…よし。それじゃさっそく修行に入るぞ。時間が惜しいからな」
そう宣言して、ヤムチャは荷袋からいろいろと取り出す。
「まずはこれだ。今日からは寝る時もずっと外すんじゃないぞ」
そう言って手足に着けるバンドをマーリンに渡す。が、それを受け取った
瞬間、少女の表情が変わる。
「なっ…こ…こんなものをずっと着けているだと……っ!」
マーリンが驚くのも無理は無い。ひとつのバンドだけで50sは楽にある。
もし今、彼女が気を完全に抑えていたら、いくら以前よりも格段に肉体が
強化されたとは言え、受け取った瞬間に肩の関節が抜けていたはずだ。
フルパワーではないが、今の状態でもずしりと感じる。こんなものを
計4つも身に着けて修行など、正気の沙汰とは思えなかった。ましてや
ここは重力も地上とは比べ物にならない。全て身に着けた状態のマーリンの
重量が250kgとすると、間違いなく2tを超えてしまうのだ。
さすがに躊躇するマーリンだったが、ヤムチャの指示には逆らえない。
気を最大限にまで高めてから恐る恐る装着してみる。
「くっ……くくっ………」
何とか立ち上がれたものの、想像以上にこれはきついと感じる。さすがに
気を全開放しているだけに、2t以上の体重であっても歩いたりする程度
ならば問題はない。しかし、少しでも気を抜いたらどうなってしまうか…
想像するのも恐ろしかった。
「ん。じゃあ、まずはいつもの通り、基礎鍛錬からだ。そこで突きと蹴りの
コンビネーション500回な。
気はいくらでも使っていいから」
ほんの少しだけ少女は安心した。それなら不可能なレベルの課題ではない。
改めて全身に気を巡らせ、いつも通り構えて呼吸を整える。
「よーし、いーち…!…」
掛け声とともに左拳を放ち、すかさず右拳を繰り出す。ボクシングで言う
ところのワンツーである。そして最後に蹴りが放たれ、またパンチに戻る。
これならば何とかなりそうだ…そう思ったマーリンだったが、しばらく
後にそれが間違いであった事に気づかされた。
「269…270…どうしたぁ!! まだ半分近くあるんだぞ!!」
「んぐっくっ…っっ………!!」
…甘かったと思った。単に腕や足がきついのではなく、それをするために、先
ほどから気で全身を強化しているのだが、それを維持し続ける事がである。
わずか10分にも満たない時間であっても、フルパワーを維持し続ける事は
簡単な事ではなかった。それも当然の事である。エネルギーは無限に身体から
出るものではない。垂れ流していれば、いつかは底が見え始める。
そして、マーリンの内にあるエネルギーも、その状態が近づいていた。
第68話
マーリンの顔に恐怖が浮かぶ。もしこの状態で気が空っぽになれば、取り
付けたバンドの重量が全て、彼女の生身の身体を襲うのだ。しかも重力の
大きいこの場所で。うろたえはじめるマーリンにヤムチャがアドバイスを
送る。
「もうお疲れか? そんな風に気を垂れ流してるんじゃ無理も無いけどな。
必要な分を必要な場所にだけ回せ。無駄な放出は抑えるんだ!」
言われて確かにはっとなる。フルパワーを維持する事に必死で、がむしゃら
に気を全開にしていた事に気づく。すぅ、と少女の身体の回りからオーラ
が消える。大気中にばら撒かれていたエネルギーが薄れ、それと同時に
マーリンの身体も少し力を取り戻す。
「はぁ……はぁ………」
「まったく、それぐらい言われる前に気づけよ。今のお前には別に何でも
ない事のはずだぞ」
少し余裕が出来たのか、きっ、とヤムチャを睨むマーリン。
「そうは言っても…急にこんな場所でこんなものを付けられて…いつも
通りの力は出せない…」
「…それは正論だけどな。正しい事が良い事とは限らないんだぜ?それに
そもそも俺たちがやろうとしてる事は間違いだらけだ。違うか?」
そう言ってヤムチャは薄く笑う。その笑顔を見て、マーリンも軽く笑う。
…このヤムチャという男は本当にすごいとマーリンは思う。自分の抱えて
いた悩みを、あっと驚く手段で解決してみせた。自分のくだらない正義感
のようなものも、軽々と飛び越えている。いつか自分がヤムチャよりも
強くなっても、この男には一生頭が上がらないかも…などと考えてしまう。
だが、それは決して不快な考えではなかった。
そして、この部屋に入っての初日が終わった。マーリンにしてみれば
二日目なのだが、修行としての初日がこれで終わった事になる。むろん、
終わったと言ってもバンドは付けっぱなしだ。寝る時でも外しては駄目
だと、ヤムチャははっきりと言った。常に身体にエネルギーを漲らせる
事で、身体の限界以上のパワーを引き出せるようにするための修行なのだ
そうだ。
その説明を少女が完全に理解出来た訳ではなかったが、今までヤムチャが
間違った方針を立てた事は無い。マーリンにしてみればムチャだとは思うが、
逆に今まで「やれ」と言われた事で、出来なかった事もない。ヤムチャが
自分に課す事は、自分が必死になれば、必ず出来る程度の要求なのだ。
得体の知れない粉のような食事を取り、そして堅いベッドに横になる。
気は抜かず、それでいて眠りにつくように身体をリラックスさせる。やがて
睡魔がそろそろと忍び寄ってきた。フルパワーは維持できている。このまま
このまま…そう思いながら、ゆっくりと少女は眠りに落ちていった。
第69話
またしても、あれからほぼ一月が過ぎた。連日の修行に次ぐ修行。そして
それに黙々と従うマーリンだったが、事態は深刻な状況に陥っていた。
マーリンの戦闘力が、15万を境にぴたりと上昇しなくなってしまったのだ。
自分の恐れていた事が現実となった。そうヤムチャは感じていた。修行に
よるパワーアップの限界…それでもこんなに早くに訪れるとは考えては
いなかった。そこが彼の誤算だった。
仮に20万まで上げられれば、界王拳を会得出来れば瞬間的にでも悟空に
近い戦闘力を得る事が出来る。そしてここ、精神と時の部屋ならば、それを
教えてマーリンがマスター出来る時間もある。あるはずだった。しかし…
たったの15万では、界王拳の上限とも言える20倍でも300万。常時発揮
できるのは10倍で150万程度なのだ。これではやはり勝負にすらならない。
苦悩するヤムチャをよそに、今日もマーリンは黙々と修行に励む。自分が
このところ伸び悩んでる事は判っているが、ヤムチャが命じた事に間違い
などない、と言わんばかりに。少女は完全に、心から彼を信頼していた。
そして基礎鍛錬の時間が終わり、組み手の修行が始まった。マーリンは
すでにバンドの事などあまり意に介さないほどの練達を見せるほどに
なってはいるが、それは単にコントロールが上達しただけで、パワー
そのものがバンドの存在を無視できるレベルになった訳ではない。それを
見て、改めてヤムチャはもどかしく思う。これほどの気のコントロール
が可能なら、間違いなく界王拳だってマスターできる。あと少し…せめて
あと5万、何とかならないのかと。
苦悩と失望を抱えたまま、マーリンとぶつかり合う。実戦稽古による破壊の
エネルギーが、この白い空間を震わせる。
ヤムチャの界王拳は4倍だ。18万以上の凄まじいパワーが少女を遠慮なく
襲う。ムチャな事は理解しているが、もはやそうも言っていられる余裕など
なかった。限界ギリギリのところから、更なるパワーを引き出す以外、少女に、
そしてヤムチャには道はなかった。
ズガッ…! ガガガガガッ……!! ズンっ!!!
果てしないとも思えるヤムチャの連撃。狼牙風風拳がマーリンの腕、身体を
打ち抜いていく。対するマーリンも必死にそれに食らいつく。戦闘力の強化
以外にも、実戦での技の伝授はいろいろと行っている。もちろんこの技も伝授
済みだ。ゆえに対策も判る。
「くっ…これで…どうだっ!!」
そう言って、以前自分がされたように、今度はヤムチャの足元に蹴りを
お見舞いする。思わずバランスを崩すヤムチャだったが、倒れるとまでは
いかなかった。
「…………」
とりあえず飛びのいて、距離をとるマーリン。倒れないように踏ん張った
姿勢のまま、ヤムチャは固まっていた。
第70話
「…今のはなかなか良かった…かもな…」
顔は下を向いたまま、そうぽつりとヤムチャがつぶやいた。だが言葉とは
裏腹に、その表情は何か得体の知れないモノに執り付かれたようだった。
ぴくぴくとこめかみの辺りが痙攣していく。
効果の上がらない毎日の修行、そしてこの部屋、何もかもが癇に障る。
だが一番は…マーリンの目だ。自分を信じて疑わない、あの目が燗に障っ
て仕方がない!
…ヤムチャの心を少しづつ少しづつ、静かに蝕んできた感情が、さっきの
お留守な足元への攻撃で一気に弾けようとしていた。
相変わらず下を向いたまま、ヤムチャの身体が小刻みに揺れる。いや、
それは震えていると言った方が正しいだろう。ゆっくりと、しかし徐々に
それが大きくなる。そしてついに、一気にそれが弾けた。
「くくくくくっ……はは…あはははははっっ!!!」
「…!?」
突然のヤムチャの高笑いに困惑を隠せないマーリン。ぽかんとしたまま、
男を見つめる。
「ははははは……は……っ………、やめだやめだ!! もうこんな事は!!」
どこか狂気をたたえた眼差しで、射るようにマーリンを見つめる。顔は
笑ってはいるが、目だけは明らかに笑っていない。
「…もう、こんな事してたって無駄なのは判ってんだろ? いくら修行
したって、お前にも俺にも、悟空を倒すなんて無理なんだよ!!!!」
突然のあまりのヤムチャの変貌に、マーリンは驚いて目をむく。
「…ど…どうしたんだ…ヤムチャ……?」
「どうしたもこうしたも無ぇよ!! ちょっと甘い顔して付き合って
やりゃあ、図に乗りやがって…! だからガキは嫌いなんだっ!!」
「………っ……」
「はっ! 悟空を超えたい? 超サイヤ人を超えたい? んな事が出来る
と本気で思ってるのかよ!!
単に『頑張った』って、『やれるだけはやった』って、自分に言い訳
するためなんだろうが!」
「なっ…ヤムチャ! それ以上の侮辱は例えお前でも…っ!!」
「へぇ、許せない、ってか? だったらどうだって言うんだ? 俺にも
勝てないくせに、許せないからどうだって言うんだ? そう言う所が
ムカつくんだよ!」
もはや自分でも何を言ってるのか、よく判らないほどヤムチャは興奮して
いた。いつもの、マーリンのやる気を誘う挑発などではない。この部屋に入る
以前から感じていたものの、ずっと心の奥に押し込んできた感情が爆発して
いた。
「…ヤムチャ…お前……」
何かを言いかけたが、マーリンの言葉はそこで途切れた。代わりに、少女の
身体から、暴風のようなエネルギーが巻き起こった。
第71話
ぴしり、と床に亀裂が走り、マーリンの周りの空気がぐにゃぐにゃとねじ
曲がっていく。外界への気の放出は最大限に抑えつつも、それでもわずかに
もれ出るエネルギーが陽炎のように少女の周りを覆う。
そして改めてヤムチャに目を向ける。先ほどから変わらず、凍った笑みを
顔に貼り付けたまま、マーリンの様子を伺っているようだった。
「…………っ……」
もはや何も語るまい。少なくとも今のヤムチャは正常とは言いがたい。
そしてそれを招いたのが己の力不足によるものだったとしたら、それは
悲しい事ではあるが。
「そらそら、どうした? やっぱりお前は口だけかよ! どうせ今まで
だって、自分より弱いヤツを叩きのめして満足してたんだろ? ん?
今なら許してやらない事もな……」
ヤムチャの言葉は最後まで語られる事は無かった。凄まじい速度で一瞬に
して間合いを詰めたマーリンの拳が、ヤムチャの顔面を打ち抜いていた。
しかし。
「…へっ…効かねぇな……そんな程度のパンチじゃよっ!!」
そう言って、何事も無かったかのように、いまだ頬に張り付いたままの
マーリンの拳をつかみ、そのまま、ぶんっ!、と少女の身体を投げ捨てる。
「くっ………っ!!」
空中に放り投げられ、とっさに体勢を整える。そしてすかさず下のヤム
チャの姿を捉えようとするが、その場所にはすでに男は居なかった。
「どこ見てんだ? あぁ?」
不意に少女の後ろから声がかけられる。しかし、気づいた時にはすでに
手遅れだった。
ドズッ……!!
ヤムチャのパンチが、振り向きざまのマーリンの腹にめり込む。
「あぉ……ぉぉぐっ……!」
たまらず口から息と胃液が零れ落ちる。いまだかつて味わった事のない
巨大な衝撃が少女を襲った。それでも必死に意識をつなぎとめ、よろよろと
後ろに飛びずさる。
「…ふん…確かにずいぶんと頑丈にはなったみたいだが…俺はまだまるで
本気じゃ無いのは判ってんだろ? じたばたせずにあきらめた方が
お前のためだぞ」
そう言ってヤムチャは徐々にパワーを上げ始める。スカウターなど無くても
今のマーリンには十分過ぎるほど判る、恐ろしい程の気の高まり。
「……界王拳……6倍……だ…!」
第72話
「わたしを…どうするつもりなんだ…ヤムチャ……」
そう苦しげに、必死に声を絞り出すマーリン。
「……お前には地球から出て行ってもらう。おとなしく従うなら手荒な
事はしないでも無いが、どうせ抵抗するんだろ……。
ま、気絶してる間に宇宙船に放り込んで、そのまま宇宙に返してやる
から、安心してかかってきな……」
冷たくヤムチャは言い放ち、改めてマーリンに向けて構えを取る。
…マーリンはヤムチャの変貌に驚き、戸惑っていた。確かにここしばらく
ヤムチャはイライラしていたように見えたし、その原因が自分の伸び悩み
にある事も、口には出されなかったが理解していた。しかし、それが判って
いたとしても、少女にはどうする事も出来なかったのだ。勝手にストレスを
ためて、勝手にそれを爆発させて、挙句に地球から出て行けなどと言うのは
余りに身勝手で横暴に過ぎる。さすがにマーリンにも怒りの色が浮かぶ。
「へっ…そうだ。かかってこいよ。せめて悔いが残らないように、思いっ
きり叩きのめしてやる!」
そう言うヤムチャだったが、どこかその表情は悲しそうだった。
……ボゥッ…!
ヤムチャの右手から光の玉が生じる。彼の得意技「操気弾」だ。マーリンの
脳裏に、初めてヤムチャと出会ったときの事が思い出される。あの時は
一方的だったのは自分だったが、今度はヤムチャが一方的だ。自分もそう
だったからよく判るが、こうなってしまうとなかなか人の話などは耳に
入らないものである。一度気でも失なって、意識を落ち着ける事でもない
限りは。
そして、今はヤムチャも興奮しているが、落ち着いてくれれば、またいつもの
ヤムチャに戻って、話を聞いてくれるかもしれない。そう信じる事しか、今の
マーリンには残されていなかった。
「…いいだろう…今のお前は異常だ…。わたしが頭を冷やさせてやる…!」
先ほどのダメージは抜けてはいない。それでもマーリンはそうはっきりと
言い放った。そして。
ダンッッ……!!!
少し距離を置いたところから、一直線にヤムチャに突っ込む。操気弾はあく
まで離れた間合いでこそ効果のある技だ。格闘戦ではむしろ邪魔にすらなり
得る。
この技を見るのは2度目で、しかも正面から向き合うのは初めてだったが、
瞬時に技の特性を見切るマーリン。懐に入ってしまえば恐るるに足らずと
読んだ上での踏み込みなのか。
「ちっ……!!」
ヤムチャは軽く舌を打ち、操気弾でそれを迎撃しようとする。右手から白い
光弾が弾かれたようにマーリンに向かっていく。だが、それは彼にとって、
信じられないものを見る結果となるのだった。
第73話
マーリンに向かって一直線に操気弾が飛ぶ。しかし、彼女はそれを避ける
でもなく突っ込む。
ガッッ……!!!
案の定、マーリンの顔面に操気弾がヒットした。が、驚くべき事に、少女
はそれを意に介さず、なお真っ直ぐにヤムチャに迫る。
「っっ……!!??」
コンマ数秒の世界でヤムチャに驚きが走る。バカな、あり得ない、力の差を
考えれば、今のは気絶して当然の威力だったはず、と。
そのヤムチャの混乱を表すように、コントロールを失った光弾が、そのまま
あさっての方向に飛んでいく。
そしてその一瞬の隙をマーリンが突く。
「は…ァァっっ…!!」
ヤムチャの手前1mほどで着地し、そこからスピードを殺さずに、いや、
むしろ加速さえ加えてヤムチャに迫る。唸りを上げたマーリンのヒザが
お返しとばかりにヤムチャの顔面に迫る。
「……ッ!!」
ズガッ……!!
咄嗟に我に返り、かろうじてガードが間に合ったヤムチャだったが、
衝撃を完全に受け止めきれず、よろよろと後ずさる。そして今の攻撃は
それ自体よりも、はるかに大きなショックをヤムチャにもたらしていた。
「ば……バカな……! 今の俺は6倍界王拳を使ってるんだぞ…!
それがなんで力負けする……!? 操気弾も直撃だったのに……!」
目の前の現実が理解出来ず、ますます深い混乱に陥りそうになりながら、
視線をマーリンを戻す。そして。
そこで初めて、ヤムチャは少女の異変に気づいたのだった。
「な……んだ…こりゃ……」
マーリンの身体から、あり得ないほどの力が溢れていた。スカウターで
計測すれば30万以上は確実であろう戦闘力。6倍界王拳でも27万ほどの
ヤムチャでは力負けしても、いや、今のがまともに当たっていたら、それ
だけでKOされていてもおかしくなかったのだ。ヤムチャの背に冷たい汗が
走る。
だがしかし、マーリンにこれだけの戦闘力があるはずがない。いかに
修行したとは言え、これほどの戦闘力のコントロールなど不可能なはず。
不可解さに首を捻りたくなったヤムチャだったが、注意深く少女を探ると
さらに驚くべき事に気がついた。
第74話
「これは…まさか……」
ヤムチャがにわかに信じられなかったのも無理はない。だが、マーリンの
身体の気の流れを探ってみれば、そうとしか考えられなかった。
「おまえ……いつの間に界王拳を……」
ヤムチャはこれまで、自分が使う事はあっても、界王拳を少女に教えた
事など無かった。もちろんいずれは教えるつもりではあったが、まだ単純な
エネルギーではない、「気」と言う概念を扱い始めたばかりの彼女にとって、
それはレベルが高すぎたからだ。
完全に基礎修行を終え、心身ともに完成度を高めなければ、肉体への負担が
大きい界王拳を使いこなす事は難しい。中途半端は命取りなのだ。
そしてその事は、まさに今のマーリンの状態が如実に証明して見せていた。
「はぁぁぁぁ……ぁぁっっ……!!」
顔から滝のような汗を流しながら、マーリンの咆哮が続く。少しでも気を
抜けば、身体の内側から引き裂かれそうな力の奔流に、ギリギリの領域で
手綱を引いていく。一歩、いや半歩でも踏み外せば、そこに待つのは……。
ふと心をよぎる何かを追いやり、集中をさらに高めていく。見よう見まね
だが、今のところは上手く出来ていると感じる。ヤムチャの気の流れを
折に触れては捉えてきたのが、ここにきて役に立った。むろんヤムチャの
ように4倍や5倍などは無理だが、元の戦闘力が高い分、2倍程度でも充分
効果はある。それでもずきずきと徐々に身体が悲鳴を上げ始めたが、まだ
やめる訳にはいかない。この戦いが終わるまでは。
一方、ヤムチャはあっけに取られていた。マーリンの底なしのセンスと
自分をも圧倒する眼前の戦闘力に。しかし、不意に気がつく。
注意深く気を探ると、少女の自己流界王拳は非常にバランスが悪い。
どうやら完全にコントロールしきれている訳ではないので、妙にふらふらと
気が安定していないのだ。ほんの一瞬の間に2倍以上になったり、そうかと
思えば半分以下にすら落ちたりしている。
本来、界王拳という技は、気の流れや勢いを完全にコントロールするだけ
ではなく、それによってある種の増幅回路を体内に形成する事が必要なので
ある。もちろん回路と言っても、それはあくまで便宜上そう考えるだけで、
実際に何かを埋め込んだりする訳ではないが。
そして、いったん回路が形成さえされれば、後の運用はさほど難しいもの
ではなくなる。2倍でも3倍でも思いのままである。身体さえ付いてこられれば。
だが、今、目の前で少女が行っているのは、そんなステップなど無視して、
ただ気をめちゃくちゃに増幅しているだけだった。回路を通しての安定した
増幅ではなく、瞬間的に跳ね上がる力を力でねじ伏せ、逆に落ち込めば無理
やり引き上げる。例えて言うなら、コンピュータ制御無しでは走れないような
レースマシンを、全てその補助無しで、走らせるようなものである。ほんの
僅かでもアクセルを踏みすぎたら、それだけでスピンしてしまうような、綱
渡りのごとき危険な行為。
ヤムチャの顔に驚きと焦りが浮かぶ。しかし、そんな事など知らず、あるいは
知っていたとしても意に介さずに、再びマーリンがヤムチャに迫る。
第75話
ブンッッ!!……
マーリンの右ストレートがヤムチャの顔面に迫る。かろうじてそれを回避
するヤムチャだったが、返しの左をモロにがら空きのわき腹に食らってし
まう。
しかし、まるで効かなかった。偶然に、不安定なマーリンの界王拳もどきに
ある、戦闘力の落ちこんだ状態だったのだろう。
「くっ……こんな時に……ッ…!」
毒づきながらなおも攻撃を続けるマーリン。ヤムチャにしてみても、今のは
たまたま運が良かっただけで、攻撃の全てが脅威である事に違いは無い。
「…おい! やめろマーリンっ…! ちょっと待てっ……!!」
必死に避けながらヤムチャが叫ぶ。こんなムチャな事を続けさせていれば
マーリンに取り返しのつかない事が起きかねない。修行に見切りをつけた
とは言え、少女には宇宙でやるべき事が残っているのだ。それまで忘れて
しまうヤムチャでは無かった。
しかしマーリンは取り合わない。まるでその言葉を受け入れてしまえば、
結局は全ての終わりをも受け入れなければならないかのように。
次々と拳を、蹴りを繰り出していく。それらひとつひとつを紙一重で避け、
ガードしていくヤムチャ。すでに自身の限界の7倍にまで界王拳を引き上げ
ている。ヤムチャの身体にも激痛が走り出していた。
「はは…こりゃ…長期戦だとヤバイかもな………」
そう一人ごちるヤムチャだったが、表情に一切の余裕は無かった。
ガッ……!!
ズギャッッッ………!!!!
ドゥオッッッンンン………!!!
激しい一進一退の攻防が続いていた。限界にまで高められた界王拳によって
ほぼ互角となったヤムチャとマーリンの、地球を除けばまさに宇宙の頂点を
決めるかのようなハイレベルな戦いである。
…ヴァッッ!!
ヤムチャの左飛び後ろ回し蹴りがマーリンを襲う。それにあえて踏み込み、
力を殺せるエリアに入り、軽くジャブを放つ。ダメージを期待しての攻撃
ではなく、ヤムチャの体勢を崩すのが狙いだ。案の定、空中でバランスを
崩すヤムチャ。いかに舞空術が使えるとは言え、とっさにそれで姿勢を
制御できる戦士などそういる訳ではない。よたよたとかろうじて着地する
ヤムチャ。そしてそこにマーリンの必殺の一撃が迫る。
しかしヤムチャも負けてはいない。かつての武道会で、うかつに飛び上がる
のは危険だと教わった。そう、バランスを崩したかに思えたのはトラップ
だったのだ。
唸りをあげて襲い掛かるマーリンの右ストレートにカウンターを合わせる。
が、それを一瞬で理解し、パンチを引きつつ身体ごとヤムチャにぶつけ、
カウンターを潰す。
どちらからと言う訳でもなく、二人の顔に思わず笑みが浮かぶ。両者ともに
持てる力の全てを尽くしている、極限のバトルが不思議に心地よく感じるのか。
しかし、永遠とも思える戦いだったが、幕切れはあっけなく、意外な形で終わる
のだった。
第76話
ヤムチャに身体を預けるような形だったマーリンが、とっ、と身体を離す。
そのまま2歩、3歩、と後ずさり、再び構えようとした瞬間……ヤムチャの
耳に嫌な音が飛び込んできた。
ぶ…ちッ……
その音は当然マーリンの耳にも届いていた。なぜならその音は彼女から
発せられていたからだ。不思議そうな目でその音の場所、先ほどストレート
を放とうとした右腕を見る。
見たところ、何も無いように思える。しかし、マーリンの表情が徐々に
強張っていく。それを悟ったヤムチャがとっさに叫ぶ。
「…腕の腱が切れたんだ……! ムチャするからだ…ばかやろう…!」
だが、動かないと理解したマーリンは、そのまま残った左腕だけで構え直す。
まだ終わっていないと言わんばかりに。
「……もうあきらめろ…! そんな身体じゃもう勝負しても無駄だろうが!」
そう言われ、ようやくマーリンが再び口を開いた。
「まだだ……なぜ腕の一本や二本で負けを認めなければいけない?
戦いは…身体か…精神のどちらかを失うまで続くものだ…。これは……
訓練じゃない…わたしとお前の戦いなんだ!! わたしを止めたければ
わたしを殺すつもりで戦え!!」
そう一気にまくし立て、一瞬の間を置くと、さらに大きな声でマーリンは
叫んだ。
「終わってみるまで判らない戦いを……無駄と決め付けるお前は…戦士
じゃない!! そんな男にわたしが…負けるものかぁぁッ!!!」
そう言うとマーリンの身体から、今まで以上の凄まじいパワーが吹き上が
った。3倍、いや4倍界王拳並みの戦闘力!
「やめろぉぉっ!!! それ以上、気を高めるなッッ!!!」
ヤムチャの絶叫が白い空間に飲み込まれていく。そして次の瞬間。
「ぁ……うぁっっ……!!??」
マーリンの全身ががくがくと震えだした。ヤムチャには聞こえないが、当の
本人には、全身の筋肉がまさに音を立てて崩壊していく様が手に取るように
判っていた。腕も足も、比喩ではなく本当に粉々になろうとしている。
異変に気が付いたヤムチャの必死の説明が飛ぶ。
「お…落ち着け! いいか、すぐに界王拳を解くんじゃないぞ!! 少し
づつだ! ゆっくり気を下げていくんだ…!」
「まだ…戦いは終わってない…それは出来ない!!」
パニックに陥りかけ、逆に素に戻ってしまったヤムチャの訴えも、今の
マーリンには届かない。もはや迷っている暇など無かった。
「…わかった…!! 俺の負けだ! 俺が間違ってた!! 」
第77話
苦しそうに、今にも倒れそうな表情のまま、静かにマーリンが口を開く。
「……本当に…お前の負けでいいのか…?」
「ああ…俺の負けでいい…」
「……なら、また今までどおり……わたしの訓練に協力してくれるんだな?」
「ああ…いくらでも協力してやる…だから…」
「…ふふ……勝ったわたしが負けたお前の願いを聞くなど…何だか妙な話
だが…いいだろう………受け入れよう…」
そう言うとマーリンは、支えを失った人形のようにその場に崩れ落ちた。
あわててヤムチャが駆け寄る。そしてマーリンを抱き起こして必死に叫ぶ。
「っ……! ばか! 何してる! 早く気を下げるんだっ……!!」
「あれ…おかしい…な…。うまく…コントロール……できな…い…」
ヤムチャに抱きかかえられたまま、途切れ途切れにマーリンが声を出すが、
その弱弱しさとは裏腹に、少女の身体から荒れ狂うエネルギーが収まる
気配は無く、むしろますます激しさを増していった。
「…まずい…完全に暴走しちまってる…このままじゃ………っ」
マーリンの体内で際限なく増幅された気が、行き場を失って少女自身の
身体を暴風のように荒れ狂っていた。その破壊のエネルギーが容赦なく
彼女を内側から削り、破滅へと導こうとしていた。
「が…はッ……!!」
少女の口から鮮血が飛び散る。腕や足、そして身体はすでにボロボロの
状態だ。これが長く続けばまさに命にかかわる。いや、すでにこの状況を
脱したとしても命の保障は無いところまで、マーリンの身体は限界を超えた
危機的状況に陥っていた。
「………ッ………」
ヤムチャの顔に絶望の色が浮かぶ。どう対処していいのか、彼には全く
判らなかった。ここまで暴走した気を再び制御する事など、自分自身にも
できるかどうか判らないのだ。ましてや気を扱いはじめてから日の浅い
マーリンならばなおの事である。だが時間は待ってはくれない。一刻も早く
この状態からマーリンを解放しなければ……少女は間違いなく、自身の
エネルギーに内側から引き裂かれて死ぬ。下手をすれば跡形も残らない
ままで。
意を決し、マーリンに静かに語りかける。あくまで穏やかに、不安を
与えないように。
「…いいか、マーリン。そうなっちまったら、もうコントロールして
下げるのは無理だ。だから、そのエネルギーを全部、外に出すしか
ない……!」
はぁはぁと荒い息を吐きながら、マーリンがヤムチャの言葉に頷く。
わずかに開いたマーリンの目は、いつも通りのヤムチャを完全に信頼
しきった目だった。
第78話
「…どう…すれば…ごふっ…いいんだ……?」
またしても血を吐きながら、マーリンがヤムチャに問う。もはや一刻の
猶予も許されない。冷静に振舞いながら、半ば一か八かの賭けに出るしか
方法は残されていなかった。
「ああ……暴走してると言っても、完全に制御不能になった訳じゃない。
その身体の中の気を、反転して全部外に解放するんだ。簡単…だろ?」
そう言ってマーリンに微笑んでみせる。しかし、マーリンの表情は変わら
ない。簡単だと言うヤムチャのその言葉の意味するものが、卓越したセンス
を持つ少女には理解出来てしまったのだ。
それはすなわち「自爆」に他ならない。ナッパにチャオズがしてみせた、
あの状態である。
全身の気を内側に留めたまま、臨界を越えるまで圧縮し、その後、一気に
それを解放させる。制御から解き放たれた純粋なエネルギーは、使い手の
肉体をも呑み込み、大きく弾けるのだ。今の状況とは少し異なるが、予想
される結果に違いは無い。無論ヤムチャもそれは判っている。不安を悟ら
れぬよう、必死に笑顔を作ったままで続ける。
「…心配すんな……俺の言う通りにすれば大丈夫だ……! だから……
俺を信じろ……!!」
「………」
こくり、と無言で頷くマーリン。ようやく少女の顔にも、苦しそうな中にも
わずかな笑みが浮かぶ。途切れそうになる意識を無理やり繋ぎとめ、再び
精神を研ぎ澄ます。
「よし……じゃあ行くぞ……」
そう言うとヤムチャは大きく息を吸い……少女をしっかりと抱きしめた。
「……!?…… ャ…ヤム… …?」
突然の抱擁に、思わず身体が強張る。せっかく高めた集中力が驚きで失われ
そうになる。だが、そんなマーリンの心情などお構い無しに、ヤムチャが
耳元で説明する。
「いいか…よく聞け。自爆技にならないためには、一気に放出さえしなけ
ればいい。タイミングは俺がここで指示するから、お前はそれに従って
気を放出するんだ…!」
その言葉にさらに驚くマーリン。それも当然の事で、こんな至近距離で
気の放出を受ければ、いくらヤムチャでもただでは済まない。ましてや
今のマーリンの体内に蓄積されているエネルギーは、戦闘力にしておよそ
40万以上なのだ。単純な気の放出と言っても、至近距離で直撃すれば
ダメージは必至である。
マーリンの表情に再び不安が戻る。しかし、それもやむを得ない事では
ある。マーリンひとりではタイミングは掴めず、さりとて離れてしまえば
気の嵐の真っ只中、指示など聞こえるはずも無い。ヤムチャが選んだこの
状態が考えられるベストなのは、今の少女にも容易に理解できた。ただ
ひとつ、ヤムチャが最後までそれに耐えられるのか、という不安材料を
除いて。
第79話
「…………っ…」
苦痛と不安が重く重くマーリンの身体と心にのしかかる。仮に自分が死ぬの
なら、それは残念だし無念ではあるが仕方が無い。しかしヤムチャは違う。
ここで自分につきあって傷つかなければいけない理由など、何一つ無いのだ。
が、そんなマーリンの葛藤を見て取ったのか、ヤムチャがぼそぼそと耳元で
ささやく。
「…大丈夫だって……こうしながら俺も界王拳全開でガードする…。お前の
へなちょこ自爆もどきなんかじゃ、間違ったって死にゃしねぇよ…」
少女からはヤムチャの顔は見えない。しかし、きっとその顔はいつもの
あの笑顔なのだと思う。自然とマーリンの顔にも笑みが浮かぶ。そして。
「わかった……頼んだぞ…ヤムチャ……」
真っ白な異空間に、さながら台風のような嵐が巻き起こってた。しかし台風
と違うのは、その中心こそが最も苛烈で恐ろしい場所であるという事だ。
「よし……いいぞ…そのままのペースであと10秒だ…!」
密着した少女の身体から伝わる気を読み、タイミングを計ってそれを伝える。
奔流する力に吹き飛ばされる事を恐れるかのように、ヤムチャの少女を抱く
力も強さを増していく。
マーリンの手前はああ言ったものの、それでもこの放出され続けている気の
嵐は、界王拳無しの状態では数秒と持たない威力である。5倍でもわずかに
ダメージを受けるぐらいなのだ。肌に突き刺さる痛みは、まるで裸で砂嵐に
巻き込まれたような感じだった。
「はぁ……はぁ………っ」
息も絶え絶えに、必死にコントロールを続けるマーリン。無軌道に増幅
され、自身の制御をも受け付けずにただ荒れ狂う純粋な破壊の力と化した
己の気を、少しづつ、少しづつ外へと解き放っていく。
一気に放出すれば、それはただの自爆になり、自分の身体も、下手をすれば
ヤムチャの身体すらバラバラになって、骨すら残らない可能性すらある。
さりとて小出しにしすぎれば、自爆の恐れは無くなるが時間が掛かりすぎる。
そして全てを出し切るまで、自分の体力はおそらく持たないだろう。かろう
じて自爆にならない程度に放出の勢いを抑える、そのギリギリのラインを
ヤムチャが指示し、少女がそれに従っていく。
「くぅっ…は…ぁぁ……あっ……」
だが、想像以上にマーリンの身体はダメージを受けていた。ようやく半分
ほどを放出したところで、すでに少女の身体は限界を超えようとしていた。
少女の気がゆっくりと低下する。しかし、それは暴走した気の放出による
ものではなく、彼女自身の命の火がゆっくりと消えゆこうとしていたから
であった。
「……お…おい…マーリン…しっかりしろ!! 集中しろ!!」
「すま…ない……ヤムチャ……わたしは…もう…」
「変な事言うなっ! 謝ったりすんなっ! お前は…お前は…やらなきゃ
いけない事があるんだろうっ! そいつを放り出すのかよ…!!」
マーリンの意識を繋ぎとめようとヤムチャが叫ぶ。その肩を抱く力に一層の
力がこもる。そんなヤムチャに、少女は今にも泣き出しそうな……笑みを
浮かべてつぶやいた。
「………ヤムチャ……頼みがある…。もし………わたしが死んだら……
あの惑星からの依頼……お前が代わりに行ってくれないか……?」
第80話
「ふっ…ふざけるな…! あれはお前の仕事だろうっ! お前が受けるんだ!!
悟空を倒して…行けばいいだろうがっ……!!」
目の前でマーリンの身体からみるみる内に気が失われていく。暴走した気とは
違う、命そのものの気が。
年甲斐も無く、みっともなく取り乱すヤムチャだったが、咄嗟に思い出すもの
があった。
「…!! そうだ…仙豆……! …確か持ってきてたはずだ……!」
超特急で部屋に戻り、最後の一粒を握り締めてマーリンの元に急ぐ。
「マーリンっ!! これを食うんだ!!」
うつろな視線でそれを見ながら、マーリンが弱弱しく口を開く。
「…それは…以前にも…」
「そうだ!! これさえ食えば、例え死にかけだってすぐに元気になる!
早く…早く食え…食ってくれ……!!」
だが、その言葉にマーリンはわずかに肩を震わせると、ゆっくりと首を横に
振る。
「…!? なんで……どうしてだよ…!」
マーリンは答えない。しかし、はっきりと拒絶の意思を全身から表していた。
「……ッ…どういうつもりか知らんが、無理やりにでも食ってもらうぞ!」
そう言うとヤムチャは少女の頭をつかみ、口を開かせようとするが、どこに
そんな力が残されていたのか、驚くほどの勢いでヤムチャを突き飛ばす。
もはや訳が判らないヤムチャが、起き上がりながら泣きそうな顔で懇願する。
「頼む…食ってくれよ…俺は……お前に死んで欲しくないんだ…」
その言葉に一瞬目を見開いたマーリンだったが、すぐにまた目を伏せる。
しかしゆっくりと少女の唇が動いた。声は聞こえず、ただぱくぱくと口を
動かすのが精一杯のようだった。
そして。少女の身体から力が完全に失われた。ごとり、と腕が冷たく白い
床に落ちる。
「〜〜〜ッ!! マーリ……ンッ…勝手に死ぬなァっ!! そんな事は
……させねぇからなッッ!!」
とっさに腕を掴み、以前に悟空から聞いたようにマーリンに気を送る。
フリーザを延命させたように、自分の生命エネルギーを相手に送りこむ。
だが、すでに生命体としてのポテンシャルはマーリンが大きくヤムチャを上
回っている。今のヤムチャでは気休めにしかならない。少女の「完全な死」
を、ほんの少し遅らせる事が関の山である。
すでにマーリンに意識は無い。このまま完全な死を迎えれば、かろうじて
内に留めておけたエネルギーが少女を食らい尽くす。じわじわと零れ出す
それが、今もマーリンの身体を犯し、ぶすぶすと肉体を炭化させつつあった。
そしてマーリンの肉体が完全に死を迎えたとき、彼女の身体は大きく弾け飛ぶ。
恐らくはこの世に髪の毛一本すら残さずに…。