Saiyan
Killer
第81話
が、しかし、ヤムチャの必死が通じたのか、あるいはマーリンの驚くべき生
命力ゆえか、信じられない事にマーリンの指が、ぴくり、とかすかに動いた。
「…やった!! よし!! 今だっ……!!」
そう叫ぶと、ヤムチャは両手でマーリンの頭とあごを持ち、力任せに口を開か
せた。そして、あらかじめ口に含んでおいた仙豆を……そのまま口移しで少女
に含ませた。
そしてそのまま人工呼吸を行う。軽く噛み砕いた仙豆が、ちゃんと胃に収まる
ように、大きく息を送り込む。
「…っぷはあぁっっ!! …こ……これで…どうだぁッ!!!」
さらにダメ押しと言わんばかりに、心臓マッサージを気を送り込むのと平行
して続ける。すでにヤムチャの気も限界に近い。しかし、そんな事は関係ない。ありったけの気を全て少女に注ぎ込む。そしてついに……
奇跡が起こった。
ドクンッッ……!!
強い鼓動がヤムチャの耳を打つ。あるいはそれは幻聴だったのかもしれないが、マーリンの心臓がゆっくりと、しかし大きく力強く、活動を再開し始めた。
急速に全身に生気が蘇り、顔にも赤みが戻ってきた。あちこちにあった傷も
消えている。心停止からの回復により、仙豆の効果が現れたのだろう。
「や……やった…よかった………」
思わずその場にへたりこむヤムチャ。まさに精も根も尽き果てた、と言った
様子である。しかし、その表情は喜びに満ち溢れていた。
「………」
やがてゆっくりとマーリンの瞼が開いた。その表情はこわばったまま、のろ
のろと身体を起こす。
「なぜ……わたしは……生きてる………?」
ぽつりと、切れ切れに発した言葉は疑問だった。確かに一度、意識が闇に
溶けていくのを感じていたのに、無理やりその暗黒から引き戻されたような
気分だった。しかし答えなど判り切っている。目の前の男…ヤムチャがどう
やってかは判らないが、自分を再びこの世に呼び戻したのだ。
顔を伏せ、うつむいたままで立ち上がると、そのままヤムチャに背を向け
歩き出す。
まるでヤムチャの前には居られないとでも言うかのように。
第82話
「お…おいっ!! なんだってんだよ…! 人がどれだけ苦労したと
思ってるんだ……! それを…お前……!」
最初はすぐに立ち上がるほどの回復を見せたマーリンに対して、素直に
喜びを見せていたヤムチャだったが、あきらかに理不尽なマーリンの
態度につい言葉を荒げる。
「…あのまま死んでた方が良かったってのか!? 生き返りたく無かった
とでも言うのかよ!!??」
ヤムチャのもっともな言葉に少女は何も言わない。ただ、かすかに首を
振ってみせるだけだった。
「……っ…! じゃあ、何が不満なんだ…!何が気に入らなくてそんな…」
九死に一生を得る、どころの話ではなく、まさに死からの復活を経た感動
の再開。普通ならこれほどドラマチックなシチュエーションはそうそう
無いであろうはずなのに、マーリンの態度は明らかにそれを喜びと感じて
いない。ふたりの間の空気が徐々に険悪になっていく。しかし、突如として
ヤムチャがマーリンのただならぬ異変に気が付いた。
「…?………… え………?」
つい先ほどまでマーリンの身体に吹き荒れていた気が、ものの見事に収まって
いる。消えた訳ではなく、少女が完全にそれをコントロールしているのだ。
それどころか、戦闘力というものを器に例えれば、それが一回り、いや二回り
も大きくなっている。先ほどの暴走した気を全て呑み込んでも足りないほど
の器…。
…気の性質も以前とは何かが違う…。
不意にヤムチャの脳裏に、かつて仲間たちから幾度も聞いた話が蘇る。瀕死の
重傷から回復するたび、大きく力を上げる戦士の血脈の話…。
それによって度々窮地を救われたり、逆にピンチに陥ったりとクリリンなどは
語っていた。
以前感じた、不謹慎で下らない少女への印象が再びよぎる。そして、それが
知らず知らずのうちに口から零れ落ちた。
「…お…おまえ……まさか………」
背を向けたままの少女が、ぽつりと漏らす。
「……やっぱり…気がついたか……」
呆然としたままのヤムチャ。そのマーリンの言葉だけで全てを理解して
しまった。
「そう…わたしも……サイヤ人なんだ…正確には…半分だけだが…な…」
そう言って、ようやくマーリンはヤムチャに向きかえった。泣きそうな、
それでいてどこかさばさばとした表情で。
「知られたくなかった……知られると判っていたから…あの時…拒否
したんだ……」
第83話
しばらくの後、ふたりはこの部屋…精神と時の部屋の基点にある場所に
戻っていた。夕食も取ろうとせずにただベッドに腰掛け、うつむいたまま、
時間だけが過ぎていった。
「なぁ…マーリン……」
どれほどの時間が経ったのだろうか、不意にヤムチャが口を開いた。
「その……こんな事…聞くのはアレだけど……お前の事をもっと……
ちゃんと教えてくれないか?」
そう言ってヤムチャはマーリンに視線を戻す。問われたマーリンも少し
驚いた風だったが、ややあって薄く笑い、ヤムチャに向き直る。
「…そうだな……つまらない…お前には何の関係も無い話だが……聞き
たいのなら教えよう……」
ぽつり、ぽつりとマーリンが口を開いていく。これまでの少女にまつわる
数奇な運命の物語を。
惑星マリーン。かつてそう呼ばれた、宇宙でも屈指の美しさを誇る水の
星があった。人々は穏やかで平和を愛し、高い科学力を持ちながらも、
他星への侵略などとは無縁の、まさに宇宙の宝石のような星があった。
その星は王家が統治し、国民はその王家を愛し、理想的とも思える政治が
行われていた。
しかし、そんな平和な世界に、突如として暗黒に陥れる日が訪れる。言う
までも無くサイヤ人たちだった。
もちろん惑星マリーンにも軍隊は存在する。非道な侵略から身を守るため、
平和国家ではあったが、高い技術によって作られた数々の兵器を持ち、それ
なりの戦力ではあった。
しかし、サイヤ人はあまりにも強力すぎた。
あっという間に軍は壊滅し、地上は殺戮と略奪、恐怖と死が支配する暗黒の
世界へと変貌を遂げていた。一般国民はすでに数十分の一にまで減り、生き
残った者も次々と奴隷として運び去られ、もはやこの星が死の惑星になるの
は時間の問題だった。
王家でも議論は分かれていた。徹底抗戦を唱える者、降伏し、たとえ奴隷
となっても生きのび、再び再興を目指すべきだと言う者、そして最終的に
王が選んだのは、降伏だった。
そして戦いは終わった。宮殿には王家の人間だけが残り、静かに最後の
時を迎えようとしていた。たとえ一般の国民は奴隷としてでも生き延びら
れはしても、王家の人間はそうはいかない。この星の次の支配者が誰かは
判らないが、前の王を生かしておく理由など無いからだ。
一切の抵抗の無くなった王宮を、思い思いにサイヤ人が蹂躙して回る。
わずかに王に従い続けた衛士たちも殺され、彼らに最後の時がいよいよ
訪れようとしていた。
第84話
「さ…こちらです…! お急ぎをッ!!」
宮殿の地下、何百年も閉ざされてきた秘密の通路をひた走る2つの影。
恐ろしい死神の手から逃れるべく、長かった平和の時代には無用だった
隠し通路を一心不乱に駆け抜ける。
降伏し、一族の断絶は覚悟していたものの、王も人の親であった。
まだ成人にもなっていない皇女を連座させるには、あまりにも忍びない…
そう思い、最強の衛士を付け、密かに宮殿からの逃亡を命じていたの
だった。
名はアローワナ。王の一人娘にして、この星の唯一の王位継承者でも
あった。
「…もうすぐです…外には船も用意されているはずです…!」
破裂しそうな胸を押さえ、必死に衛士に付いていく。残してきた父母や
一族の事を思うと、さらに胸が張り裂けそうになるが、今は自分が生き
残る事を優先しなければいけない。それが皇女としてでは無く、一人の
娘として自分に託された両親の願いだったからだ。
やがて、ようやく暗く長い通路に光が戻り始める。出口がうっすらと
見え始めた。
「はぁ…はぁ…あ…あそこまで行けば……」
最後の力を振り絞って足を進める。だが、あとわずかと言うところで
皇女は絶望的な声を耳にしたのだった。
「くっくっく……! こりゃ驚いた…こんな場所にお客さんとはな…」
耳に下卑た男の声が突き刺さった。カツ…カツ…と、ゆっくりと通路
の向こうの光から黒い影が近づいてくる。
「くく…こんな場所で見回りなんざ、貧乏クジだと思ってたが…どう
やらオレは運がいいらしい…くっくっくっ……」
「はぁぁぁぁっ……!!!」
その男の声を遮る様に、衛士の裂帛の気合がほとばしる。逆光に浮かぶ黒い
シルエット、まるでその闇を切り払うかのごとく。
彼もこの星では1、2を争う程の実力者である。例え勝てはしなくても皇女を
逃がす時間稼ぎさえ出来れば、それで彼の任務は果たされた事になるのだ。
一切の迷い無く、全身の気を拳に集中して敵に肉薄し、全身全霊をかけた
パンチを放つ。
極限的な状況が可能にした、彼の生涯において究極に高まった至高の一撃
だった。
第85話
だが。
バシィッッ……!!
その究極の拳も、「戦闘民族」という壁の前には何の意味ももたらさ
なかった。
「…はぁ…? これ…もしかしてパンチのつもりかぁ?」
にやにやとした相変わらず下卑た顔のまま、衛士が放った拳を掌で軽々と
受け止めている。衛士の顔にも笑いのような表情が張り付いていた。全く
理解出来ないモノに出会った時、絶望は時として笑いになる。
「くっくっ…パンチってのは…こう打つもんだぜ?」
ブン、とサイヤ人が腕を軽く振る。明らかに本気では無いと思える、
ジャブのようなパンチ。
「ひ…ぃっ!」
この星の最強たる衛士が、その誇りを見失ったかのような無様な声を
あげつつ、かろうじてガードが間に合う。しかし次の瞬間。
「……ひぎゃ……っあああぁッ!!!!!!!」
ぼとり、と衛士の腕が二本とも落ちる。二の腕の中ほどから、今の
軽いジャブを受け止めた衝撃に耐え切れず、引き千切れたのだ。
「あがっ…はわわ……ぁぁ…!!」
痛みと絶望に打ちのめされ、芋虫のように地面を転げまわる最強の衛士。
もはやその姿に、かつての英雄の面影を見る事はかなわなかった。
「おいおい…もろいなァ……せっかくなんだからもう少し楽しませて
くれよ……!」
頭を掴み、無理やりに立たせ、再び軽く腕を振る。衛士の腹に拳がめり
込む。何度も何度も。その度に血反吐を撒き散らしながら悶絶する。
皇女は動けなかった。圧倒的な恐怖と絶望に支配され、その場に立ち
すくんでいた。命を懸けた衛士の行動は、むしろ逆効果に過ぎなかった。
頭は逃げろと警鐘を鳴らし続けている。だが、人の姿をまとった「力」
そのものが放つ濃密な死の匂いに、心と体は刈り取られる寸前だった。
どさり、と音を立てて、先ほどまで衛士だった物体が、冷たい石の回廊に
投げ捨てられる。
「いっ……… ぃゃあ……ッ…… いやぁーーーーーーッ!!」
ピクリとも動かない「それ」を目にし、ようやく皇女に感情が戻った。
…皇女の心には、この衛士に対して密かな想いがあった。ずっとずっと
心に秘めてきた、誰にも知られずに終わってしまうと思っていた想い。
それがこんな形であっても、もしかしたら二人でどこかの星で暮らせる
ようになるかも知れないと考えた時、不謹慎ではあるが、嬉しさを感じず
にはいられなかったのだ。
しかし、その幼い夢はあっけなく潰え去った。目の前の悪鬼によって。
第86話
「…ちっ…まったくこの星の連中は張り合いがねぇなぁ…」
心底つまらなさそうに、かつて衛士だったモノを一瞥すると、立ち尽く
したまま固まっている皇女に目をやる。
「……おまえ…王族だな。若い皇女がいるって話は聞いてたが…くくっ…
なかなかの上玉じゃねぇか…!」
男の口元がますます下卑に吊り上った。固まって動かない皇女の胸元に
手をやり、動きやすく、それでいて皇女にふさわしい装飾を加えられた、
さぞ名のある職人の手による服を、惜しげもなく一気に引き裂いた。
「………ッ……!!」
「せっかくだからな…殺す前に楽しませてもらおうか! 何せあのクズの
おかげで、逆にストレスが溜まっちまったんでな……!」
そう言って男は皇女を壁に押し当てる。わずかに残った布切れをさらに
奪い、今まで誰にもさらした事の無い場所が露になっていく。
「ひっ……いゃあぁっ……!!」
性知識などほとんど持ち合わせていないアローワナであるが、それでも
これから自分の身に何が降りかかろうとしているかは理解できた。
『愛する人を殺したサイヤ人に犯され、そしてその後に自分も殺される』
屈辱に身が震える。怒りと悲しみで頭がどうにかなってしまいそうだった。
こんな所でこんな男に……怒りが恐怖に打ち勝ち、必死の抵抗を行う。もし
死ぬのなら、せめて王家の名に恥じぬ、誇り高い死を選びたかった。だが。
…ぼきっ……!
「あ…ぎぃっ……ぁぁぁっ……!!」
「じたばたするんじゃねぇ。次に暴れたら、今度はまとめて折るぞ」
まるで小枝でも手折るように。何のためらいも見せずにアローワナの
指をへし折り、男が言った。
痛みと屈辱で涙が止まらない。何よりも折られた指よりも心が痛かった。
その痛みに一瞬、怒りを忘れて心までもが折れそうになってしまったのだ。
圧倒的な力の前に、「死」が異様なリアルさをもって迫る。その恐怖が
再び彼女の身体を縛り付けていた。己の覚悟が霧散していくのを、皇女は
ただ呆然と見送るのだった。
「へへっ…そうそう…。そうやって大人しくしてりゃあ、後でちょっとは
考えてやってもいいんだぜ?」
これ以上無い、と言うほどの下卑たセリフを、無遠慮に身体を舐めまわし
ながらサイヤ人が吐き出していた。その男の声が息と共にアローワナの
顔に掛かる。人と言うよりは獣に近い臭いが鼻をつく。思わずこみ上げる
吐き気を抑えるのが精一杯だった。
「うぅぅっ………くっ………」
もはや彼女に許されたのは、己のために涙を流す事だけだった。
第87話
ずちゅっ……
じゅぷっ………
冷たく乾いた水音が、静まり返った暗い回廊に寒々と響き渡る。
サイヤ人は既に何度と無くアローワナの中に欲望を放ち、その度に一層
水音は大きくなっていった。いつ果てるとも判らない、悪夢のような時間…
…何時間も経っているようで、それでいてまだ数分ほどのようでもある。
正常な感覚などは、この空間からはとうに失われていた。
どくんっ……!
そしてしばしの間を置いて、一際大きく身体を揺らし、もはや何度目か
すら判らない絶頂をサイヤ人が迎えた。
「……へっへっへ……思った以上に楽しませてくれたじゃねぇか…」
うっすらと汗をかきながらも、にやにやと薄ら笑いを浮かべたまま、よう
やくサイヤ人が身体を離す。
そしてしばらく何事かをぶつぶつと一人でつぶやき、何かを思案している
素振りを見せていたかと思うと、突然アローワナに向き直り、言い放った。
「くく…お前を殺すのは止めだ…お前は今日から俺の女にしてやる…!」
それは僥倖と言っていいだろう。どのような形であれ、もはや死以外は有り
得ない運命だった彼女にとって、男のその言葉は降ってわいた奇跡に近い。
だが、せっかく生き延びられそうなチャンスが思いがけず巡ってきたと言う
のに、今のアローワナには「生」そのものに対する執着が失われていた。まだ
幼さすら残る彼女に取って、これだけの惨劇が降りかかってなお、精神を正常
に保つ事など不可能だったのだ。
のろのろと汗まみれの身体を起こし、感情のこもらない視線でサイヤ人を
射る。その視線の訳を勝手に判断し、男が再び口を開く。
「…ふん…どういう風の吹き回しかって言いたそうなツラだな……まぁ
命令では王家の連中は皆殺しって事になってるから、こいつは確かに
明らかな命令違反だなァ…」
そう言うと少し真剣な表情になるサイヤ人だったが、すぐにまたニヤついた
顔に戻り、アローワナに説明を続ける。
「へへっ…でもどうせ俺たち下級戦士のやる事なんざ、いちいち誰も
チェックしやしねぇ。炭になった死体でも身代わりに転がしておけば、
まさか俺がお前を連れて逃がしたなんて、誰も気が付かないだろうさ」
少しづつアローワナの心に理性と感情が戻り始める。だが、そのサイヤ人の
言葉の意味など、どうでもいいとすら感じていた。星を滅ぼした張本人である
サイヤ人に命を救われるなどという、あまりにも滑稽な運命に失笑さえ禁じ
えない。気が狂いそうなほど滑稽で哀れな喜劇。
再びアローワナの頬を涙が伝う。半笑いの顔のまま、大粒の涙をこぼしながら、
くぐもった嗚咽が皇女の口から低く漏れる。
「さーて、それじゃ行くぞ。お前は今日から皇女でも何でもねぇ…俺の
奴隷だって事を忘れるんじゃねぇぞ。バレたら俺もお前も命は無ェんだ。
おかしな事は考えない方が身のためだからな…くく…」
そう言い置いて、サイヤ人がアローワナの腕を取って強引に立たせる。
そして光差す出口にゆっくりと引きずられるように歩いていく。先ほどまでは
あれほど待ち望んでいた、新しい世界への入り口だったモノが今では地獄への
入り口にも感じられていた。
「おっと、その前に…こいつに身代わりになってもらうとするか。クソの
役にも立たなかったクズだが、最後にお姫様の身代わりになれりゃあ
本望だろ? ひゃははははっ!!」
何がそんなにおかしいのか、狂ったように笑うと同時に男の腕から光が
溢れ出す。そして衛士の死体に向けてその光を放つ。
あっという間に炎は衛士の体を包み込み、見る見るうちにそれは黒い塊と
なっていった。もはや男なのか女なのかすら判別出来ないほどに。
その様をアローワナはただ見つめていた。すでに涙さえも枯れ果てたのか、
一言も発せず、ただ見つめるだけだった。
そこは確かに地獄の入り口に違いなかった。少なくともアローワナに
とっては…。
第88話
そこからどうやって星を脱出したのか、元皇女…今はサイヤ人の情婦と
成り果てたアローワナは覚えていない。何度かのチェックをごまかし、
時には裏金を掴ませて、くぐり抜けてたどり着いた場所は惑星マリーン
から数十光年離れた小さな小惑星だった。
そこは中を改造され、一見小惑星に見えるが、実際は大規模な宇宙船と
いう代物で、フリーザがサイヤ人たちのためにあてがった、生活のための
空間をかねて作られていたものだった。
その中の一室が、このサイヤ人…トレヴィスという名の男の部屋だった。
下級戦士がこうした個室を持つのはあまり一般的ではない。ずいぶんと
恵まれている待遇なのだろう。
そして、アローワナの絶望に満ちた新生活もここで始まった。満足に部屋の
外にも出られない毎日、たまに出られても周囲はほとんどがサイヤ人で
じろじろと奇異の目に晒される生活。女性のサイヤ人もわずかにはいたが
友人になどなれるはずも無かった。
だが、何より彼女を苦しめたのは、やはりトレヴィスの存在そのものだった。
荒々しく身体を求められる度に、おぞましい最初の記憶が蘇ってくる。
必死に抗っても、涙を浮かべての懇願もまったくの無駄だった。この男は
そんな相手の気持ちなど気にした事など無いのだろう。と言うより、そんな
事を気にしていてはサイヤ人など務まらないのだろうが。
そうして半年ほどが経ち、アローワナは精神に変調をきたしてしまう。
だが、秘密を口走る事を恐れたトレヴィスは、彼女を病院に入れる事もせず、
部屋に閉じ込めるだけだった。そしてちょうどその頃、トレヴィスは大規模な
侵攻作戦に参加する事が決まり、アローワナは一人、部屋に放置される事に
なった。
それから約1年が経ち、久しぶりに部屋に戻ったトレヴィスが見たものは
…誰もいない、無人の部屋だった。
トレヴィスがこの小惑星を後にしてから数ヶ月が過ぎてなお、アローワナは
依然として精神を病んでいた。毎日のレイプまがいのセックスからは解放
されたとは言え、その行為は彼女の心に想像を絶する爪あとを残していたの
だった。
生活全般に関しては、もともとサイヤ人の身の回りの世話をするための
ロボットが甲斐甲斐しく働いているので不都合は無かったが、アローワナは
ただそこで命を繋がれているだけに過ぎなかった。だが、ある日を境にそれが
一変する。
アローワナの妊娠が発覚したのだ。
第89話
自身の妊娠にアローワナが気が付いたのは、臨月に入るほんの一月前の
事だった。と言うより、それまでは精神が異常をきたしていたので、その
事に意識が向かなかったのだ。出産を目前にして、突然意識が正気に戻った
かにすら思える現象だった。
無論、彼女にしてみれば余りに唐突なこの事態に、混乱し、パニックに
陥りかけた。ましてやこの子供は、間違いなくあの男、トレヴィスの子供
なのだ。そんなものが自分の腹の中にいると思うと、怒りと憎しみで今すぐ
自ら腹を切り裂いて引きずり出したい衝動にすら駆られる。
だがしかし、それは同時に自分の子供である事も確かなのだ。世が世ならば
惑星マリーンの第一王位継承者だ。一族の復興を託されたこの身を思えば
例え親が誰であれ、そんな事は瑣末に過ぎない。相反する感情がアローワナ
の心をかき乱していく。
そして悩んだ上での彼女の結論は、この小惑星から脱出し、人知れずこの
子供を産む事だった。あの男に知られれば、間違いなく子供は堕胎させられる
だろう。上手い具合にちょうどトレヴィスはここを留守にしているが、いつ
帰ってくるかは判らない以上、ぐずぐずはしていられない。
わずか数日の間に彼女は計画を練り、全く躊躇することなくそれを実行に
移した。この星からの脱出計画を。
脱出は思いのほか簡単だった。もともと大規模の作戦中だった事もあり、小
惑星内のサイヤ人の多くは出払っており、警備は極めて手薄だった。
それでもわずかに残っていたサイヤ人や、他の異星人の目を盗んでの移動や
宇宙船への侵入には骨が折れたが、これが通常時ならばこの比では無かった
だろう。何とか球形のポッドに乗り込み、適当な惑星へ進路をセットする。
そしてついにアローワナは自由を手にしたのだった。
トレヴィスが戻ってきた時には、すでにアローワナがここを後にしてから
半月以上が過ぎていた。すぐさま、あらゆる方法で探してはみたが、まるで
足取りは掴めなかった。あちこちの星で直接探す事もしたが、もともと命じ
られれば宇宙のどこへでも行かねばならない仕事である。情報が入っても
すぐに行ける訳ではない。トレヴィスにとって、空虚な時間が流れていく。
そしてあっという間に数年が過ぎていったある日、彼の耳に久しぶりに有力な
情報が飛び込んできた。今いる星からわずか2光年ほどの惑星に、女の子と
ふたりで暮らすアローワナと思しき人物がいるとの事だった。
すでにこの星での仕事は終わっている。上のサイヤ人に一応許可をもらうと
すぐさまトレヴィスは星を飛び立った。
第90話
「…ただいま……」
おかあさまが帰ってきた。わたしはおおいそぎでげんかんにむかう。
「おかえりなさい、おかあさま!」
「…ただいま、マーリン。いい子にしてたかしら?」
「うん! マーリンはいつもいいこだよ!」
おかあさまはいつもつかれたお顔をしてる。だからわたしはおかあさまの
分までげんきな顔をするの。
「…そう、それじゃご飯にしましょうね。手を洗っていらっしゃい」
「いただきまーーす!」
おかあさまのつくるご飯はいつもすごくおいしい。でも、お作法には
ちょっとうるさいの。だからご飯はおいしいけど、ご飯のじかんは
あんまりすきじゃない。
「ほら…マーリン、そんな風に音を立てて食べてはだめよ。…あぁ、
こんなにこぼして…」
ためいきをつきながら、おかあさまがぶつぶつお小言をいってくる。
それで、いつもこのあとには「あなたは惑星マリーンの皇女なのですよ」
とか「王族としてふさわしい振る舞いを」とかって言うの。よくわかん
ないけど、おかあさまの悲しそうなお顔はきらいだから、お作法もがん
ばるよ。わたし。
ぱりんっ……
あ、またやっちゃった。
どうしてかわからないけど、わたしは昔からよくコップとかお皿を
割っちゃうくせがある。スプーンもきがついたら曲がってたなんて
しょっちゅう。わたしはふつうのひとより少しちからがつよいのかな。
ちからもちなのはいいことだと思うけど、おかあさまはあんまりそう
思ってないみたい。わたしがコップをうっかりにぎりつぶしたとき、
ものすごいかおでわたしを睨んだことがあった。
おかあさまはたまにすごいこわいお顔でわたしをにらむ。いつもはすごく
やさしいおかあさまなのに、ときどきすごく怖い。
コンコン……
げんかんから音がする。だれかきたのかな?
「あら…こんな時間に誰かしら…大家さんには家賃の事は言ってある
はずだけど…」
そういっておかあさまがげんかんにむかう。ゆっくりとひらいたドアの
むこうには、わたしのしらないひとが立っていた。
「くく…久しぶりだな…アローワナ……。そのガキは俺の子か?」
第91話
「トレ……ヴィス…。どうしてここが……」
呆然とするアローワナを無視して、無遠慮にずかずかと男が部屋に入る。
「ふん…思ったとおり、しけた所に住んでやがる…。かつてのお姫様も
落ちたもんだな? えぇ?」
にやにやと相変わらずの下卑た笑みを浮かべながら、室内を値踏みする
かのようにじろじろと見て回るトレヴィス。
「…何しに来たの…」
それだけをようやく絞り出せたアローワナだったが、トレヴィスはその
言葉に目を丸くして驚いた。
「…はぁ? 何しにだと? お前を連れ帰るために決まってるじゃねぇか!」
その言葉に今度はアローワナが目を丸くして驚く。
いつか自分を見つかってしまう事は薄々は覚悟していた。だが、見つかった
時には殺されるとばかり考えていたのだ。
……信じられない事ではあるが、もしかしたらこの男は、本当に自分に
好意を持っているのかもしれないとアローワナは感じた。愛する事も
愛される事もサイヤ人には不要な感情だ。例えそれを持っていても、どう
表現すればいいのかが、彼らの文化には存在していないだけなのだ。そう
考えれば、彼のあの暴力的なまでの行為も、ただ不器用な彼なりの愛情の
表現だったのかもしれない。
だが。例えそうだとしても、この男が自分の故郷を滅ぼした一味である
事に変わりはない。一族を皆殺しにし、目の前で愛する人を惨殺した
あげくに、その骸の前で辱められたのだ。その恨みが消える事などあり
えない。ほんの一瞬でもサイヤ人などに心を許しかけた自分に腹が立つ。
それにもし仮にトレヴィスの気持ちが本物だとしても、それがいつまで続く
かも判らない。気まぐれなサイヤ人の事だ、5年後10年後まで気持ちが変わら
ない保障などないのだから。
そう考えると、確かに今の生活は苦しいものがあるが、トレヴィスの口車
に乗って、あの小惑星に戻るのは得策ではない。いろいろと思考がアロー
ワナの頭の中で駆け巡るが、ふと自分のそばで怯えているマーリンを
見つめるトレヴィスに気がついた。
「…戦闘力…158か…。まだガキのくせに、なかなかたいしたモンじゃ
ねぇか…くっくっく…。
さすがは俺の子……って事か?」
耳につけた機械を操作しながら、じろじろと我が子を見る男。
少なくともそれは、父親としての情愛のこもった目ではなかった。まるで
品定めするかのような冷たい視線。
それを見て改めてアローワナはサイヤ人という人種に戦慄を覚えた。そして
確かにトレヴィスは自分に愛情を持っているかもしれないが、その愛は
決してマーリンには向けられる事は無いのだと直感する。やはりこの男の
元にはいられない。彼女がそう判断するのに時間はそうはかからなかった。
第92話
とりあえずアローワナは、トレヴィスの元に戻る事を約束した。ただ、戻るに
しても仕事やこの部屋の事もあり、整理する時間が欲しいと訴えた。
それにはなかなか同意しなかったトレヴィスだったが、ついには根負けした
のか、渋々一週間の猶予をアローワナに与えたのだった。
だが、帰り際にトレヴィスはこう言っていた。
「言っとくが…もうお前は逃げられないぜ…。そのガキを連れている限り
俺はどこまで逃げてもお前を見つけられるんだからな…くくく」
その言葉の意味をアローワナは理解できなかった。だが、猶予の一週間を待た
ずしてこの星から脱出し、別の星に居を移して半年ほど経ったある日、再び
現れたトレヴィスの存在が、彼の言葉が真実だったとアローワナは思い知る
事になった。
答えは簡単だった。スカウターである。
アローワナ母子が逃げる先々の星は、戦乱とは無縁の平和な星だった。
そんな星に100を超える戦闘力の持つ人間がいれば嫌でも目立つ。まして
マーリンはまだほんの子供なのだ。あとはその噂をたどって星に着きさえ
すれば、正確な場所さえもスカウターが教えてくれる。そうしてトレヴィス
は、ことごとく正確に彼女らの足取りを掴んでいたのだった。
だが、アローワナはそんな事など知る由も無かった。理由など判らないまま、
何故か正確に自分たちを見つける事の出来るトレヴィスに、より一層の恐怖を
感じるようになっただけだった。
いくら星を転々としても、僅か数ヶ月でトレヴィスは姿を現す。意外な事に、
それでも彼は強引に連れて帰る事はせず、むしろそんな追いかけっこを楽しん
でいるようでもあった。あるいはいくら逃げても無駄だと言う事を、完全に
彼女が理解するまで待っていたのかもしれない。
星から逃れる際に、わずかに身に着けていた貴金属や宝石も底を尽きかけ、財
政的にも行き詰まりを見せ始めた生活も、彼女の精神をすり減らしていく。
そしてアローワナの空しい逃避行が始まって数年が経ったある日、ついに事件
が起きた。
「…わざわざ休暇まで使って探しに来てやったんだぜ? もういい加減
あきらめて、俺と一緒に来るんだな。もちろんそのガキはどっかの
星に捨てていくけどな…俺のガキなら、さぞ立派なサイヤ人の戦士と
して働けるだろうよ…くっくっくっ…!」
「っ…! 触らないで! 無礼な…っ!」
その日は月も星も出ていない、真っ暗な夜だった。いつものように何の前触れ
も無くアローワナの前に姿を現したトレヴィスが、まるで変わらない下卑た
笑みを浮かべながら迫っていた。もはや逃れようの無い事は薄々感じていた
アローワナであったが、それが彼女の精神をさらに不安定にさせていた。
「…おいおい…無礼な、だと? お前まだ自分の事をお姫様と思ってんのかぁ?
まったくおめでたい女だが……そうでなくちゃ面白くねぇ!! 久しぶりに
たっぷり可愛がってやるとするか!! ひゃははははっ!!」
まだ幼いマーリンの目の前で、両親の痴態が繰り広げられようとしていた。
いつもそうしてきたように、マーリンは目を閉じ、耳を塞いでそれをやり過ご
そうとしていた。しかし現実は何も変わらない。
外と同じ、真っ暗な世界に埋没し、少女はこの恐ろしい時間が一刻も早く過ぎ
る事だけを考えていた。
第93話
「ふぅ……相変わらずたまんねぇな…お前の身体はよ…くくく」
そう言ってゆっくりとトレヴィスが離れる。ぐったりとしたまま、アロ
ーワナは天井を見つめて動かない。だが、その目には何かを決意したよ
うな光がわずかに宿っていた。
背中を向け、ごそごそと帰り支度を始めるトレヴィス。その戦士とは
思えない無防備な背中に……アローワナの決死の一撃が閃いた。
ざくっ……
「…な…に……?」
一瞬何が起きたのか、それさえも理解できない風のトレヴィスだった。
自らの背中に深々と突き立てられたナイフ。しかしそれを認識するよりも
先に、戦闘民族としての本能が彼を動かした。
腕を伸ばし、振り向きざまに「敵」を薙ぎ払う。だが、そこにいる者は
敵ではなく、自身ではとうとう気づかないままだったが、愛して追いかけ
続けた一人の女性だった。
ぱんっ…!
乾いた、それでいて湿り気を帯びた破裂音が室内に鳴り響いた。
第94話
もうそろそろいいかな………
お母さまとこわいおじさん…ううん、お母さまはいつも「あんな汚らわしい
サイヤ人などは、あなたの父親などではありません!」って言ってたけど、
あの人はたぶんわたしのお父さま…。いつものけんかが終わるのはもうそろ
そろだと思う。ゆっくり目を開けてみる。
目を開けたら、お父さまがすごくへんなお顔をして立っていた。おこってる
みたいで泣いてるみたい。あんなお父さまははじめて見る。
…よく見るとお母さまはまだ床にねたままだ。起こしてあげなきゃ。
わたしはゆっくりと立ち上がって、お母さまのところへ行く。
「…おい! ガキ! 近づくんじゃねぇッ!!」
へんなお父さま。なんでそばに行っちゃいけないんだろ。あわてて止まった
ところからお母さまを見た。
なんかへんだ。うす暗くてよくわからないけど、お母さまはぜんぜん動かない。
それになんか床がぬるぬるしてる。へんなにおいもする。きもちわるい…
…吐きそうだよ……。
ぴかっとまどの外が光った。くるまのライトかな。それに照らされて見えた
お母さまは……お顔がなかった。
「…あれ…? お母さま……?」
お母さまは首から上がきれいに無くなってた。まえに市場で見たお肉みたい。
お母さまはお肉にされちゃうの? だれに? どうして? ううん、そんな
ことより…
………お母さま………しんじゃったの………?
「…バカな女だ……なんでこんな事を……くそっ!!」
お父さまがなにかをぶつぶつ言ってる。よく聞き取れないけどなんとなく
わかったことがある。
…お母さまをころしたのは………お父さま………。
そう思ったらからだが急にあつくなってきた。しんぞうがすごいスピードで
ドキドキする。めのまえがまっかになる。
おとうさま。おとうさまなんかキライだ。わたしのだいすきなおかあさまを
ころしたおとうさまなんかしんじゃえばいい。
……わたしもころしたい。おとうさまをばらばらにするの。だって。
そうでなきゃふこうへいだよ。
わたしもころすの。おとうさまを。
第95話
ズズズズズッ……!
地鳴りのような音と共に部屋全体が揺れる。
「なっ…地震かッ……!?」
突然の振動に我に返るトレヴィスだったが、耳につけたスカウターの警報が
再び彼を呆然とさせる。
「何だっ!? 戦闘力6000…!? 近いぞっ…どこだ………
……な……距離…ゼロ……。まさか……お前かッ!?……」
一体何が起きているのか、己の理解をはるかに超える事態に彼はまるで
対応できなかった。いまだに上がり続けるその戦闘力の持ち主は、目の
前にいた。マーリンである。
「せ…戦闘力…7000…バカなっ!……まだ…上がるだとッッ…!?」
スカウターが狂ったように警告音を鳴らし続ける。彼の知る限り、まだこれ
ほどの子供でありながら、戦闘力が4桁に達する者など皆無だった。例えサイヤ
人であっても、全くの訓練無しにこれほどの戦闘力を持つなどあり得ない事だ。
ましてや7000などという数値は、下級戦士にしてはかなりの実力を誇るトレヴ
ィスですら、全く勝負にならないほどである。
「……おとうさま……ころす………おとうさま……ころす……」
うわごとのように同じ単語を繰り返しながら、マーリンが一歩、また一歩
トレヴィスに近づく。
「くっ……よ…寄るなッ……化け物めッ……!!」
恐怖で身体が動かない。戦う事だけに特化した遺伝子は、より強き者には
過敏に反応してしまう。無邪気な殺意をまといながら近づく我が子に、父親は
為す術などまるで無かった。
そして。
マーリンの感情…怒りとも悲しみとも、あるいは何かから解放された喜び
だったのかもしれない。それらが混ざりあい、頂点に達した瞬間、すべてが
弾けた。
ズッ……ゴォアアアアァァァッ!!!!!!!
それほど大きな島ではないが、多くの人が暮らし、そこで営まれていた幸せや
喜び、悲しみを包み込んでいた国があった。よそ者の母子をも暖かく受け入れ
てくれた、優しい人々が住む島国。
だが、その国はこの瞬間に惑星上から消え去った。誰一人残さずに。父親も、
母親の骸さえも跡形も残さずに。
たったひとり、マーリンだけを除いて…。
第96話
その前後の事をマーリンはほとんど記憶していない。どこをどう彷徨った
のか、気がついた時には別の大陸にある大きな都市で、すりやかっぱらいの
真似事をして生き延びていた。常人など足元にも及ばない運動能力とパワー
のマーリンを、誰も捕らえる事など出来なかった。
そして数年が経ったある日の事。
店先から商品を盗んだマーリンを、一人の男が捕らえたのだ。すばしっこく
逃げ回るマーリンの動きを事も無げに見切り、易々と捕らえて見せたのだった。
「フフ…噂どおり、子供のクセに確かにたいした力の持ち主のようですね…
戦闘力4084…フフ…素晴らしい…」
小さな檻に閉じ込められたままのマーリンにそう優しく語りかける。
「………わたしをどうするつもりだ……」
「…あなたのその力、フリーザ様のために役立たせなさい。そうすれば
こんな路地裏を寝床にする生活からは解放される。悪い話では無い
でしょう? ………フフフ…」
「…嫌だと言っても聞いてくれないんだろ…勝手にしろ…」
「聞き分けがよくて結構。では主人、これが代金だ。これでこの娘は
フリーザ軍のザーボンが預かったぞ」
そしてマーリンは宇宙に数百はあると言われる惑星フリーザのひとつに
連れてこられた。そこで彼女は着実に腕を上げていった。サイヤ人に
対して強い憎しみを見せるマーリンをフリーザはいたく気に入り、惑星
べジータの消滅の真実を話してみせるなどをしていた、少女もまたそんな
フリーザに好感をもち、彼の期待に応えようとしていた。
だが、そこで事故が起こった。マーリンの訓練中、誤って用意された超強化
サイバイマンの数体が、少女を瀕死の状況に追い込んだのだ。すぐに助け出
され、医療ポッドに入れられたおかげで一命は取り留めたものの、それが原
因でマーリン自身がサイヤ人の血を引いている事がフリーザの知るところと
なってしまった。
それからと言うもの、戦闘力は飛躍的に向上したものの、フリーザの態度
は一変し、ザーボン、ドドリアたちも以前のように彼女に構おうとはしなく
なった。またしてもマーリンは孤独になってしまったのだった。
そしてまたしばらく経ったある日、マーリンは信じられない噂を耳にする。
サイヤ人が攻め滅ぼした彼女の母の故郷、惑星マリーンは今、惑星フリーザ
31となっているのだと言う。つまりそれは、あの時サイヤ人を操っていた
張本人はフリーザだった事になる。
事の真相を本人に問いただそうと、マーリンはフリーザに詰め寄る。だが
答えは彼女が最も恐れていた言葉だった。「Yes」と。
その後、しばらくしてからマーリンは惑星フリーザから逃亡する。フリーザ
の庇護の元で生きる事も、フリーザのために働く事もまっぴらだった。
まだ幼い少女は、再びその自身の力をのみ頼りに生きる事となった。広い
宇宙に、誰一人頼るものも無く。
第97話
「………なるほど……そうだったのか……」
似合わない神妙な顔をしてヤムチャが小さくうめく。
もちろんこれらの事全てをマーリンが知っていて、ヤムチャに語った訳
ではない。伝聞や想像も含めても、彼女が知っている事は先の物語の半分
以下である。だが、それでもヤムチャは大きな衝撃を受けていた。
「ああ…そしてわたしは偶然出会った男にスカウトされ、戦士になった。
そしてそれからは毎日戦い続けていたような生活だった…」
マーリンの顔も暗く沈んでいる。彼女の予想するものが、これから始まる
事を確信しているかのように。
やがて少女はゆっくりと立ち上がった。そして精神と時の部屋のドアに手を
かけ、ヤムチャに背を向けたまま、ぽつりとだけつぶやいた。
「…いろいろ世話になった…。さようなら……ヤムチャ…」
少女はサイヤ人が憎かった。母親を殺した父の事、フリーザの手先だった
とは言え、その母の故郷を滅ぼした事、宇宙中に恐怖をばら撒いてきた
サイヤ人は憎く、何よりの嫌悪の対象だった。
だが、もっとも憎いのは、自分の身体の中に流れるサイヤ人の血そのもの
だったのだ。
サイヤ人の血を引く事が判れば、誰もが今までとは違う目で自分を見る。
恐れ、忌避、そして侮蔑。今までに嫌と言うほど味わった事だ。その度に
少女は言いようの無い苦しみを感じ、さらにサイヤ人に憎しみをたぎらせる
ようになっていった。
だから。きっと今度もそうなのだろうとマーリンは思っていた。
だけど。ヤムチャにそんな態度を取られる事は、今のマーリンに取っては
死ぬ事よりも苦痛だった。それならば自分からさよならを言おう。そして
ここを出て、孫悟空と戦い、いっそその場で殺されるのも悪くないと思って
いた。
だが、その少女の背中に、彼女がまったく予想していなかった言葉が投げ
かけられた。
「…修行はまだ終わっちゃいないんだぜ? どこに行く気だよ」
第98話
「……ぇ……?」
驚きの余り、決して振り向くまいと誓ったはずの禁を破り、思わずヤムチャ
に振り返るマーリン。そこには相変わらず少し難しい顔はしているものの、
いつもと変わらないヤムチャの姿があった。
「……っ……お…おまえはわたしの話を聞いてなかったのか…?」
「いや、ちゃんと聞いてたぜ?」
「だったら……判るだろう…。わたしは…半分サイヤ人なんだぞ……
しかもソン・ゴクウとは違って、わたしの手は血に塗れている…
何の罪も無い人の血や…同族の血でだ! わたしは……わたしは最悪な
人間なんだぞっ……!!」
一気呵成にそうまくし立てると、少女の目から大粒の涙が溢れ出した。
「だからおまえもわたしをきらいになる」
口にこそ出さないが、マーリンはそう思っていた。いや、出せなかった。
出せばそれを認める事になる。その代わりに涙が後から後から溢れて
止まらなかった。
ぺたんと床に座り込み、泣き続けるマーリンにヤムチャが近づく。そして
声を掛ける。
「…それがどうした? お前がサイヤ人だとかどうとかなんて、俺には
関係ないさ。お前は俺の…その…た…大切な……弟子なんだからな…」
そう言いながら、ふっと先ほどのマーリンの臨死状態での自分の取り乱し
っぷりを思い出したのか、やや顔を赤らめるヤムチャ。目も少し泳いでいた。
だが、マーリンの耳にはそんなヤムチャの言葉など届きはしなかった。もう
泣く事だけに夢中になっているかのように、ついにはおーいおーいと声を
上げ始める始末だった。
ぽりぽりと頬をかくヤムチャ。そしてためいきを一つつくと、ゆっくりと
少女の背に手を回し、出来るだけ優しくその身体を抱きしめた。
「ッ……! う…ひっく……ヤム…チャ………?」
今日二度目の抱擁。でもそれは、何かの必要に迫られた訳ではない、ただ
ヤムチャの心が現われたものだった。
「…今まで辛かったんだな……でも、これだけは信じてくれ。俺は……
そんな事でお前を嫌ったりなんかしない。お前はお前だ、サイヤ人である
前にお前はマーリンなんだ。
…寝起きが悪くて早とちりで気が強くて…でも、そんな風に泣き虫なの
もマーリン、お前なんだ。何人かなんて…少なくとも俺にとっては何の
関係もない」
「ヤ……ム…チャ……うっ…ぐすっ……っ」
おずおずとマーリンもヤムチャの背に手を伸ばす。遠慮がちに、何かを探る
ように。試すように。
そして、やがてしっかりとヤムチャの大きな背中をつかむ。何も言わずそれを
ヤムチャは受け止める。より一層、少女を抱く腕に力を込めて。
マーリンの目から、再び大きな涙が零れ落ちた。
第99話
ちゅっ……
くちびるに触れるだけの軽いキス。
「………?…」
ぽかんとした顔でマーリンが不思議そうにヤムチャを見つめる。
「…やれやれ、キスも知らないのか…?」
からかうように問いかけられたヤムチャの言葉に、むっとしながらマーリン
が反応する。
「……そ…それぐらい知ってる…。バカにするな……」
そう言うと今度はマーリンの方から、お返しとばかりにぐっと唇を突き
出して、ヤムチャの唇にぶつける。不器用でぎこちないキス。抱き合った
まま、何度も何度も気持ちをぶつけるような、そんな拙い少女のキスを
ヤムチャが受け止めていた。
もう言葉は要らなかった。無言のまま、ヤムチャがマーリンの背中を
まさぐる。だが、本来あるべきはずのホックやファスナーなどが見つか
らない。
『…そういや宇宙服だもんな……』
心の中でそう苦笑してみる。そしてわずかに身体を離し、マーリンに目で
訴えかけた。
「え……ぬ…脱ぐ…のか……?」
それは理解したものの、戸惑いを隠せないマーリン。しかし、しばらくの
逡巡の後、服のセパレートを始めた。
「これで…いいの…か…?」
この白い空間にも負けないほどの、少女の白い身体があらわになる。以前
ヤムチャが見た時よりも、はるかに女らしい体つきになっていた。マーリン
自身は少々困り気味だったが、胸のサイズは平均よりもやや大きい程だ。
顔を赤らめ、所在無さげにあっちを見たりこっちを見たりしている。
「…裸を見られるぐらい、平気なんじゃなかったのか……?」
そんな少女の反応をからかうようにヤムチャがささやく。
「……こんな戦士らしくない身体を見せるのは……恥ずかしい……」
…恥ずかしがるポイントがズレてるだろ、と思いつつ、改めてマーリンの
裸に見入る。不思議とここまで来れば鼻血など出ない。
「でも俺は前よりも今のマーリンの身体の方が良いと思うぜ? 前は
ほんとに細かったからなぁ…今ぐらいがちょうどいいんじゃないか?
もっとも、ブルマに比べ……っと…」
余計な事を口走ったと思った。案の定、マーリンが怪訝そうな顔をして
ヤムチャを見つめる。そして。
「ブル…マ…。それは以前言っていた……おまえの恋人…か…?」
第100話
「…その…わたしは…こういう事の知識は…あまり無いから、よく判ら
ないが……いいのか? ヤムチャ……」
ヤムチャは答えられなかった。その代わり、もう一度少女にキスをする。
軽くつつき合うキスではなく、少し大人のキスを。
そしてふたりだけの時間が優しく、甘く過ぎていった。
作り付けの、明らかに二人は定員オーバーのベッドに、並んで横になって
いるヤムチャとマーリン。気持ちよさそうに腕枕してもらっているマーリン
と、それを優しげに見つめるヤムチャだったが、ふと急にそれまでもずっと
心に引っかかっていたある事を思い出す。
「そういえば…マーリン…お前っていくつなんだ?」
何となく罪悪感に駆られたのではない。終わってしまった事を今更悔やんでも
仕方が無いが、考えてみればさっきのマーリンの話からすれば、彼女は惑星
ベジータの崩壊より以前に生まれている。という事は、少なくとも丁度その
前後に生まれたらしい悟空よりも年上なのだ。
冷静になった今だからそう判断できるが、それだと外見や性格の幼さは一体…?
不意に思っても見なかった話を振られ、少し驚いた風なマーリンだったが
少し考えるような仕草のあと、自信無さげに答えた。
「いくつ…とは、年齢の事か? 単純にわたしが誕生してからの絶対時間
で言うなら、地球の公転を基準にして…約38年だな」
「なぁっ!? さ……38歳って…俺より年上なのかよ……!?」
さすがにこれにはヤムチャも驚いた。思わず起き上がりそうになり、勢い
余ってマーリンはベッドから転げ出すところだった。
せっかくの腕枕をふいにされ、少しご機嫌ななめになった少女(?)が
意地悪くヤムチャに迫る。
「そうだ。だから以前にも言っただろう? 子ども扱いするな、と。
…だがおまえよりも年上だったとは知らなかったな。今度からは
もう少しわたしに敬意を払ってもらおうか…ふふふっ」
くすくすと笑いながら、とても複雑な表情で目を白黒させているヤムチャに
顔を近づける。だが、余りにその表情がおかしかったのか、とうとう声を上げ
て大笑いを始めてしまう。
「くくくっ…あ…はははは! 今のは…半分本当だが半分はウソだ…。
確かに生まれてからはそれぐらいは経ってるが、実際に活動していた
時間は…その半分にも満たないんだ。星間移動の際の人工冬眠で、
わたしの実際の肉体年齢は…おそらく17歳前後だと思う…」
第101話
いまいち要領を得ない、という顔のヤムチャに、いまだに苦しげに腹を
抱えたマーリンが説明する。
少女の請け負う仕事は宇宙の多岐に渡っている。そこでは先日連絡してきた
ような急な飛び込みの仕事はめったに無く、大抵は数ヶ月先、あるいは
一年先のようにスケジュールが決まっているのだ。なのでマーリンは星
から星へ、戦士になってからの人生のほとんどを、常に飛び回って過ごして
いたのである。そしてその移動の際には、例え数日と言えども冷凍睡眠…
コールドスリープ状態にしていたのだった。
つまり、移動の間はマーリンは歳を取る事はなく、純粋に戦っている間
だけしか、歳を取る事は無かったのである。
最初はぽかんとしていたヤムチャだったが、だんだんと飲み込めてきた。
そしてようやく自分がからかわれていた事に気づく。
「ッ!…てめっ! 大人をからかいやがって!!」
憮然とした表情で、今度はヤムチャがマーリンに覆いかぶさるように迫る。
「子供扱いするなと言っただろう! …っ! あっ! ちょっ…
そ…そこは…! やっ……ヤム…」
ヤムチャの手がマーリンの尾てい骨の辺りをまさぐる。聞いた話では
確かサイヤ人は尻尾が弱点だったはず。少女の本来尻尾があるはずの
場所はわずかに盛り上がっていて、ヤムチャの指にその位置を控えめに
教える。
「ひゃぅっ…! や…ヤムチャ…っ! そこはっ…だ…だめっ…!」
見る見るうちに力を失い、マーリンがへなへなとヤムチャの腕に翻弄される。
「へぇ、尻尾が無くてもここはやっぱり弱いのか…。ていうか、お前、尻尾は
どうしてたんだ?」
「…うぅぅ……尻尾は…子供の頃からずっと…生えてきたら自分で…切って
きた……の…。ひっ! ひゃふっ!」
びくびくと体を震わせながら、マーリンが涙目で答える。すっぽりと
ヤムチャに身体を包まれるようになりながら、ひたすら目で抵抗する。
だが、そんなマーリンの表情に、いったん火のついたヤムチャの嗜虐心が
止まらない。弄ぶようにポイントを変えてみたり力の加減を変えたりで
その度に少女の白い身体が狭いベッドの中で跳ねる。
「やっ…! ヤムチャぁぁぁっ! も…う…許してっ…!!!」
ふたりの時間はまだまだ終わりそうに無かった。