Saiyan Killer
第21話
ズズズズズズ………ゴゴゴゴゴ…………ッッ………
地鳴りの音と、大気と大地の振動がマーリンを現実に引き戻す。
「ここは…」
小汚い毛布を除け、身体を起こしながら辺りを見回す。今度は
混乱は無かった。ここはヤムチャと言う男の隠れ家だ。
だが、そのヤムチャがいない。振動の事も気になる。少女は用心
深く外へ出る事にした。
表に出ると、そこではヤムチャが修行中だった。スカウター無し
でも感じられるほどのエネルギーの高まりが、大地を大きく揺らし
続けている。
ピーッピーッピーッ!
スカウターが勝手に起動した。あまりに危険なほどの戦闘力を感知
すると、自動で立ち上がるような設定なのだろう。マーリンも一応
確認してみる。だがそこには、またしても彼女の想像を超える数値が
表示されていた。
「せ……戦闘…力…じゅ……15万………!?」
こんな戦闘力の持ち主は、フリーザ以外では見た事も聞いた事も
無かった。あのギニュー特戦隊の隊長、フリーザ一族を除く実質
宇宙NO.1のギニューでさえ、12万がやっとだと言う。しかもその
ヤムチャですら絶対に勝てない、次元が違うと断言する超サイヤ人…
…マーリンは自分を取り巻く現実を再認識すると、またも気が遠く
なりかけた。
「よう。もしかして起こしちまったか?」
マーリンに気がつき、ヤムチャが声を掛ける。
「いや…わたしの方こそ邪魔したようだ。すまない…」
ここに来てから、ずいぶんと謝罪の言葉を口にしている事にふと
気付く。面白い事ではないはずだが、なぜか悪くない気分だ。
「ああ、でももう少しで終わるから。そしたらメシにしよう。
仕込みはたっぷりしてあるから安心しろよ! はははっ」
そう言うとヤムチャの体を包む光が、さらに激しさを増していく。
「ぐぐぐッ……ぎぎ………」
うめき声を上げながら、その光の中心でヤムチャは、必死に何かに
耐えていた。スカウターの数値はすでに25万を超えている・・・。
第22話
全く底の知れないヤムチャの力に、ただただ呆然とするマーリン。
自分と戦った時も、まるで本気では無かったのだ。そして改めて
思う。この男は決して自分の敵ではないのだと。
「はぁぁぁ…やっぱまだ7倍はきついな…使いこなせるのはせいぜい
5倍までってとこか」
朝の修行がようやく終わったようだ。完全に普通の状態に戻った
ヤムチャが、独り言を言いながらマーリンの方へ歩いてくる。
そして、そんなヤムチャを少女が真剣な表情で見つめていた。
「な…なんだよ。俺、何か変か?」
「…いや、本当にお前はすごい男なのだと思っていた。わたしも
いろいろな星に行ったが、お前ほどの男は見た事が無い」
率直な感想を口にする少女。しかし、男はあっさりとそれを否定
する。
「…そんな事ねぇよ。これでも仲間内じゃ弱い方なんだぜ、俺」
この星の異常ぶりに、もう大抵の事では驚かないつもりだった
マーリンもさすがに目を丸くする。
「な…んだと…? お前が弱い…? あの超サイヤ人以外にも
お前が勝てない相手がこの星にいると言うのか……?」
洞窟の方へすたすた歩きながらヤムチャが答える。
「まぁな。ベジ…は置いといて、ピッコロには絶対勝てそうに
無いし、悟飯も…ちょっとヤバそうだな。クリリンと天津飯
も正直難しそうだ。ヤジロベーと餃子ぐらいか。俺が勝て
そうなのって」
宇宙の無法者どもはどこにでも現れる。例えそれが辺境のこんな
星であっても。そしていつか来るであろう、まだ見ぬそいつらに
少女は軽く同情した。そして宇宙は本当に広い、と思った。
「まぁ、そうは言っても、悟空とは次元が違うって点では、俺も
そいつらもどんぐりの背比べなんだけどな」
洞窟内に戻り、朝食の準備をしながらヤムチャが話を続けた。確かに
昨日のヤムチャの話が本当だとしたら、50万でも100万でも超サイヤ人
には遠く及ばない事に変わりは無い。戦闘力500万以上…想像すら
出来ない領域にその男は存在する。
第23話
ヤムチャから手渡された器に盛られた中身から、不思議な匂いが漂う。
昨日とは少し違うようだ。
それでもマーリンは迷う事無くスプーンを口に入れる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜………」
再び訪れる至福の時。昨日の鍋は辛かったが、今日のはなんと甘い
味付けだった。嬉しい不意打ち、と言う奴だろうか。また身体を
ぐらぐら揺らしながら、一心不乱にスプーンを口に運ぶ。
「朝は糖分を補給するのが一番らしいんでな。果物をベースに
仕立ててみたんだが…どう? いける?」
今はそんな事に口を使ってる場合じゃないと言わんばかりに、マーリンは
一言も発さずスプーンをくわえたまま、ぶんぶんと首を縦に振る。
「そうか。初めて作ったにしちゃ上出来なのかな…じゃあ俺も…」
ヤムチャもスプーンを口に運ぶ。
「……おぇ…っぷ……」
甘い、いくら何でも甘すぎる。いろいろ放り込んだ果物のバランスを
取るため、蜂蜜を入れすぎたのがまずかったのか。それとも隠し味で
入れた唐辛子のせいで、甘さが強調されてしまったのか。とにもかく
にも激甘だ。不味いとは言わないが、到底よく出来てるとも言い難い。
「おい…マーリン…これ、美味いか?」
何を言ってるのか、という表情で、少女がこくこくと頷く。むろん
スプーンはくわえたままだ。
「俺…もういいわ。良かったら全部食ってくれ」
その後、鍋からダイレクトに食べ始めるマーリン。口に運ぶのもちま
ちましたスプーンではなく、おたまだ。鍋を抱えておたまをずるずると
すする姿は、何か鬼気迫るものがある。気で両足を包み、そのまま鍋を
がっちり固定し、熱さを遮断しながらモリモリ食べる。
その姿を保存食の干し肉をかじりながら眺めるヤムチャは、実に失礼な
事を考えていた。
『こいつ…もしかして自分もサイヤ人なんじゃないのか……?』と…。
第24話
「おかしい…いや、それって変だろ…」
昨日のたっぷり2倍はある量を平らげ、満足そうな表情のマーリンと
からっぽになった鍋を交互に眺めながらヤムチャがつぶやく。少女の
細い身体のどこに収まってるか、今度はヤムチャが呆然とする番だった。
しかし、改めてよく見てみると、少女の身体は本当に細い。とても
あれだけの戦いが出来る戦士とは思えない。その細い身体にちょこんと
乗っている部分も案外可愛らしい顔立ちのように見える。肩甲骨のあたり
で無造作に切り揃えられ、あちこちはねているプラチナブロンドがよく
似合っていた。
こんな少女が何故…と、うーんと一人でうなっていると、無遠慮な視線に
気付いたマーリンがじろりと睨み返す。
「な…なんだ。わたしの顔に何かついているのか?」
「…口の周りに思いっきりな…」
あわててごしごしと腕で汚れを取るマーリンに、ヤムチャは大きなため息を
付くのだった。
そうしておなかも膨れ、人心地ついたマーリンが、そう言えば、と話を
切り出す。
「昨日はいろいろと貴重な情報を教えてくれた事に感謝する。しかし、
一番肝心な事をまだ聞いていなかった。それについても説明をして
もらえないか?」
「ん?なんだ?」
「例の超サイヤ人の事とこの星の事だ。つまり、この星はあのソン・ゴクウ
という超サイヤ人が支配しているのだろう?
なのに、なぜこの地球は荒廃もせずに存在しているのだ」
サイヤ人は血と殺戮を好む戦闘民族だ。ましてや伝説の超サイヤ人とも
なれば、それはなおの事だろう。マーリンの疑問はもっともである。
「支配…って、別に悟空はそんな事はしてないぞ。あいつはイイ奴だからな」
…にわかには信じられないが、理解できなくもない。確かにヤツは普通の
サイヤ人とは異質だ。それが本当なら、この星の状況もうなずける。
「……教えてくれ、ヤムチャ。いったいあのサイヤ人は何者なんだ」
しばらく考えていたヤムチャは、やがてゆっくりと口を開き、マーリンに
語り始めた。悟空とその仲間たちの、空前の冒険譚を。
…自分のカッコ悪い部分に、若干の脚色を加えて…。
第25話
最初は胡散臭そうな面持ちでそれを聞くマーリンだったが、次第次第に
引き込まれていく。目を輝かせ、ふんふんと相槌を打ったり、先を急かし
たりする様は、まるで絵本をせがむ子供のようだ。
悟空との出会い、修行の日々、天下一武道会、ピッコロ大魔王との死闘、
サイヤ人の襲来、ナメック星への旅と、そこでのフリーザとの戦い…。
何度か休憩や修行をはさみ、その度に少女は不機嫌になったが…、太陽が
西に傾く頃になって、ようやくその語り事が終わろうとしていた。
「そんなこんなで、フリーザは父親ともどもあの世に行ったと言う訳さ。
そして俺たちは、2年後に現れるらしい、人造人間って奴らと戦うために
修行してるって訳」
出来るだけベジータたち、他のサイヤ人の事に触れないように話すのは
骨が折れたが、何とかバレずに済んでいるようだ。マーリンははぁぁぁと
大きな息を吐きながら、物語の余韻にひたっている。
「…これで判っただろ? 確かに悟空はサイヤ人だけど、俺たちの仲間で
何度も地球の危機を救った、誰よりも立派な地球人なんだ。地球を支配
してるどころか、罪の無い人を殺した事もない、まっとうな人間さ」
その言葉でマーリンは現実に引き戻される。
…もし今の話が本当なら、ソン・ゴクウという戦士は確かに素晴らしい。
私利私欲のために拳を使わず、どんな強敵にも怯まずに乗り越え、そして
殺さない。憎しみにまかせて力を使い続けてきた自分の方が、よほど薄汚く
思える。
「…………」
うつむき、唇を噛み締める少女だった。
「まぁ、そういう事だから、悟空を殺すって考えは捨てて、さっさと地球
から出て行くのが一番だな。それか、もう宇宙にサイヤ人はいないん
だろ? だったら後はのんびり地球で暮らしていいんじゃないか?」
思ってもみなかった提案にマーリンが目を丸くする。
「地球で…お前と一緒に………?」
「……ばっ…! 俺には彼女がちゃーんといるっての! まぁ…最近は
ちょっと色々あるけど…」
少女の言葉に明らかに動揺するヤムチャ。しかし、それを気付かれないように
立ち上がると、鍋の方へ向かい、何やらごそごそと始める。
第26話
「…おい、悪いんだけどさ、食料を調達してきてくれ」
背を向けたまま、ヤムチャがマーリンに声を掛ける。
「ここから西に150キロほど行った所にオアシスがある。そこで適当に
果物とか魚とか捕まえてきてくれ。俺は他にやる事があるし」
急にそんな事を言われ、少女は困った表情になる。
「そう言われても…わたしには何がいいのか判らないぞ…」
「食えそうなら何でもいいって。お前のせいで食料がすっからかんなんだ。
それぐらいはしてもらわないとな」
そう言われるとさすがに反論できない。しぶしぶ承諾し、マーリンは洞窟を
後にする。
「あ…あいつ…何て事言いやがるんだ…」
マーリンの気が完全に遠ざかった事を確認すると、ようやくヤムチャは
その真っ赤な顔をあげたのだった。
「見つけた…あれか」
そうひとりごちながら、マーリンがオアシスに降り立つ。想像していたの
よりもはるかに大きなオアシスだ。
まずはスカウターで確認する。この星ではあまり意味がないと教えられは
したが、いくつもの戦いを潜り抜けてきた彼女にとって、それでも一応周囲を
チェックしないと不安なのだ。遠くの方で巨大なパワーをいくつか捉えたが
おそらくヤムチャが言っていた仲間のものだろう。無視してオアシス周辺に
範囲を集中する。
「どうやら小動物がいる程度だな…」
安全を確認し、さくさくと草を踏みしめながら歩き始める。中心に大きな
池があり、他にもいくつか小さな水溜りのような池と、それを囲むように
木々が生い茂っている。崩れかけた建物の廃墟もあるが、今は無人のようだ。
池のほとりに立つ。澄み切った水をなみなみとたたえている池は、沈みかけの
太陽に照らされ、きらきらとした光を放っていた。
腕を伸ばし、両手で水をすくう。すぐ横には解毒剤を置き、万一の事態に
備えながら、ゆっくりと両手を口に運ぶ。
「………」
ごくり、と喉を大きく鳴らしながら飲み込む。いつも飲んでいる純水とは
違って、ほんの少し甘い気がする。危険なものが混入している気配はない。
第27話
そう言えば地球に来てから、マーリンは自分がほとんど水を飲んで
いない事に気付く。そう思うと無性に喉が渇いてきた。首を伸ばし、
直接池から水を飲み始める。甘くてひんやり冷たい水をがぶがぶと
喉に流し込む。
「ふぅ…」
ようやく落ち着いて、水面から口を離す。ふと気付くと自分の顔が
ゆらゆらと映っていた。
散々泣き喚いてそのままの顔。涙の跡やら目ヤニやらで実にひどい顔だ。
口元にもごしごし拭っただけでは取れなかった食べカスが残っている。
あまりのみっともなさに、さすがにこれは帰る前に、何とかした方が
いいとマーリンも思う。砂や埃にまみれた髪もばっさばさだ。そう思うと
段々と身体も気持ち悪くなってきた。
一方ヤムチャは、先ほどの動揺を振り払うかのように修行に専念して
いた。限界を超える8倍界王拳に、彼の肉体が悲鳴を上げる。
「んぎぎぎっ……っくそ…っ!いてぇぇぇ…!こんなんで戦うなんて…
出来る訳ねぇだろうがぁぁぁ!!!」
逆ギレしながら、なおも8倍を維持する。すこしづつでもこうやって
身体を慣らさなければ、いつまでたっても限界は超えられない。そう
信じて身体を痛めつける事だけが、今の彼に出来る全てだった。
「はぁ…はぁ…はぁ………」
ようやく大地と大気の震えが収まる。ヤムチャの全身にとてつもない
疲労感が漂い、身体中の節々を痛みが襲う。さすがにちょっと無理し
すぎたかな…と思った。
「…そう言やマーリンの奴、まだ帰ってきてないのか…」
すっかり日が落ち、辺りは夕闇に包まれ始めていた。あれから軽く
2時間は経っている。気を探ってみると、例のオアシスから動いては
いないようだ。何かトラブルか、あるいは食料が見つからず、途方に
くれているのか。
「仕方無いな…迎えに行ってやるか…」
第28話
しばらくしてヤムチャもオアシスに到着する。
「おーい、マーリーン! どこだー?」
そう声を掛けながらさくさくと歩くヤムチャだったが、ふと異変に
気付く。荒野にしては何か湿度が高い上、煙のようなものも見える。
その時、ぱしゃっと水が跳ねる音がした。
「あぁ、ヤムチャか。いいところに来た。お前もどうだ?」
そう言いながらマーリンが姿を現した。一糸纏わぬ姿で、ヤムチャの
眼前に降り立つ。
「!!!!!??????」
あやうくひっくり返りそうになるヤムチャだが、すんでのところで
踏みとどまる。
「お……おま……な…何………してる……?」
「ん? ああ、手ごろな大きさの池があったのでな。エネルギー波で
水を加熱し、温水にした。それでその温水に浸かっていたんだが、
お前もどうだ? なかなか気持ち良いぞ?」
全裸のまま、仁王立ちでマーリンが得々と説明を続ける。
「最初はそのまま入ろうと思ったんだ。顔や髪を流したかったからな。
しかし、水が冷たかったので、少し暖めてみたら…これが実に心地
いいんだ。お前もきっと気に入るに違いない!」
まるで世紀の大発見をしたように、目を輝かせながら少女が力説する。
ヤムチャはそんなマーリンを直視しないように、あさっての方向を
向いたままだ。
「わ…わかった…から…とりあえず服を…きてくれ…」
そう声を絞り出す。ブルマとの生活でだいぶ慣れたとは言え、それでも
ヤムチャには刺激が強すぎたようだ。顔を覆う指の隙間から鼻血が見える。
「何を言っている…服など着ていてはあの心地よさは味わえないぞ…
……っ! どうしたヤムチャ! 攻撃を受けていたのか!?」
ヤムチャの鼻血を勘違いしたマーリンが、あわててスカウターを起動
させる。
例えまっぱでもスカウターだけは決して手放さない少女に、なかば呆れ
ながらヤムチャは大きく息を吸い込んで…叫んだ。
「いいから服を着ろって言ってんだ!このバカ女ーーーっ!!!」
第29話
ちゃぷ…ちゃぷ…
「ふぅ…確かにいい湯だな、こりゃ」
湯煙の隙間から見える、夜空に輝く満天の星星と月を眺めながら、
ヤムチャがそうひとりごちる。肌を刺すような夜の荒野の冷気が
火照った身体に心地いい。露天風呂の醍醐味と言える。
「だから言っただろう。これほどの愉悦はそうは無いぞ」
少し離れた所から、ぱしゃぱしゃと言う水音と共に楽しげな少女の声も
聞こえてくる。
お前が愉悦云々言っても説得力ないぞ、と心の中で密かにツッコむ
ヤムチャだった。
どう言ってもヤムチャの真意を理解出来ないマーリンから、逃げるように
後ずさる途中で、運悪く別の池にはまってしまったヤムチャはずぶ濡れに
なってしまったのだった。服を乾かす間、仕方なく即席の温泉に浸かる事に
したヤムチャだったが、今となってはまんざらでもないようだ。
時折吹く風が湯煙を押し流す。そしてその度に少女のほんのり赤く染まった
白い肌が見え隠れする。あわてて上を向くヤムチャ。
「…こんなガキんちょに何を…俺はロリコンじゃねえぞ…」
そうぶつぶつ言いながらも、さっきのマーリンの身体が脳裏から離れない。
戦闘服の上から見ても細かったが、裸になるとそれはより顕著だった。
とても幾多のサイヤ人を葬ってきたとは思えない華奢な体つき。腕も足も。
恐らく10代半ばぐらいなのだろうが、同年代の地球の少女と比べても、あまり
発育がいいとは思えない。若い頃のブルマと比べたら雲泥の差だ。
ぶんぶんと頭を振り、焼きついた記憶を追い出す。星空を見上げながら
必死で違う事を考える。
「…マーリン、お前、どの辺から来たんだ? お前の生まれた星は?」
ぼんやりと空を見上げながらヤムチャが少女に尋ねる。
「わたしの星は…ここからでは遠すぎて見えない…。そうだな…方向で
言えば、お前たちがアルフェラッツと呼んでいる星の、そのずっと
ずっと向こうにある」
ヤムチャからは見えないが、星空を見ながら悲しそうな顔で答えるマーリン。
「…もっとも、見えたとしても無意味だがな。もうとっくの昔に消滅して
しまった…あと500万年もすれば、ここからでもその最後の光ぐらいは
見えるかもしれない」
第30話
「あ…の…その…すまない。悪い事聞いちまったな……」
バツが悪そうに謝るヤムチャ。ざぁ…っとマーリンが立ち上がりながら
別に構わない、とだけ答える。怒ってはいないようだが、その声は少し
震えていた。
それでヤムチャはようやく理解した。おそらく、彼女の星はサイヤ人に
滅ぼされたのだろう。己のうかつさ加減に怒りを覚えるのだった。
ざぶんと頭まで湯に浸かり、しばらくしてからヤムチャも湯から上がる。
たき火の傍に置いてあった胴着はすっかり乾いていた。ついでにマーリンの
服も洗って、そばで乾かしていたのだが見つからない。すでに着替えている
ようだ。
そのあと合流し、二人で食べられそうなものを探す。果物や野菜、大きな
池にいた魚などを捕まえ、袋に入れる。
「よっと…まぁこんなもんかな。マーリン! そっちはどうだ?」
少し離れた場所で、一頭の動物を追い詰めていたマーリンが答える。
「問題無い。今捕らえた。少し小さいが止むを得まい………っ!?」
不意を突かれ、地面に転がるマーリン。何かにぶつかられたようだ。だが、
手にした獲物はそれでも離さない。
「ちっ……なんだ…?」
すばやく体勢を整え起き上がる。するとそこには一頭の、先ほど捕らえた
のと、大きさこそ格段に大きいが、同じ動物がいた。
「ふん…ちょうどいい。こいつも捕らえるか」
そう言ってにやりと嘲う。さすがに袋には入りそうに無い。バラバラにして
いくつかに分けて持って帰ろうか…あれこれ考える少女の左腕に鋭い痛みが
走る。
先ほど捕らえた獣…イノシシのような動物が、マーリンの腕に小さな牙を
突き立てていた。
「こっ……こいつ……!」
思わずその獣を払いのける。その時、かすかな気の乱れを感知したヤムチャが
マーリンに駆け寄ってきた。
「どうした? って、で……デカイな……! このイノシシ……!」
どこに潜んでいたのか、優に5メートルを超す巨大イノシシに驚くヤムチャ。
「問題無いと言ったはずだ。少し荷物が大きくなるに過ぎない」
そう言ってマーリンが冷酷そうな笑みを浮かべる。たかが獣に傷付けられ、
プライドをも傷付けられたのか、その目はサイヤ人を追い詰めた時のそれに
よく似た光を放っていた。
第31話
「まずはお前からだ…」
そう言って改めて巨大イノシシと対峙するマーリン。少女の身体に凶暴な
エネルギーが充満していく。むろんフルパワーには遠く及ばないが、それ
でもびりびりと大気が震える。そのまます…っと一歩を踏み出そうとしたが、
瞬間、ヤムチャがそれを制止する。
「マーリン。…そいつらは見逃してやろう」
「…何を言っている…せっかくのチャンスなんだぞ。これだけあれば、当分
食料には困らないはずだ」
そう口では言うものの、マーリンの本心はそこには無い。傷付けられた怒り、
無様に地面に転がされた怒りだけが彼女を支配している。どう切り刻んで
やろうか…どう苦しませながら殺してやろうか…そんな事だけを考えていた。
だが、続くヤムチャの言葉がその少女の心に冷水を浴びせ掛ける。
「そいつらはたぶん親子だ。お前が小さい子供の方を捕まえたんで、あわてて
母親が飛び出してきたんだろう」
はっ、としてイノシシたちに向き直るマーリン。見れば子供イノシシは母親イノシシに
守られるように隠れて、がたがたと震えている。動物は相手の力に敏感だ。
臨戦体勢のマーリンを見て、母親もわずかにその巨体を震わせている。
絶対に勝てない事は承知しているのだろう。それでも気丈に、一歩も引こうと
しない。
「………っ……」
どこかで見た光景。いつか見た光景。記憶の中の母親と巨大イノシシが、記憶
の中の自分と子供イノシシがダブる。そして今の自分とダブるのは…。
視界がぐにゃりと歪んでいく。そのまま地面にマーリンは座り込んでしまった。
「わた…し……わたしは………」
放心したままの少女を置いて、イノシシの母子はそのまま逃げるように去って
いった。マーリンの後ろからヤムチャが声をかける。
「…まぁ、肉が食えないのは残念だったけど、ああ言うのは仕方無いさ。ほら、
いつまでも座り込んでないで、そろそろ戻ろうぜ」
ようやく我に帰ったマーリンは小さくうなずくと、のろのろと立ち上がる。
と、ぐらりと身体が揺れる。足がもつれたのか、バランスを崩し、倒れそうに
なったところをヤムチャがとっさに支えた。
「ッ………!!!」
第32話
ドンッ……!!
まるで電気でも流されたように、猛烈な勢いでマーリンがヤムチャを突き
飛ばした。何が起きたのか、地面に尻餅を着きながらヤムチャはぽかんとする。
マーリンの方も困惑した表情を浮かべている。そしてしどろもどろになりながら
謝罪する。
「あ…? あ……の…その……す…済まない…。身体に触れられるのは…
…好きじゃないんだ…いや…その…慣れていないと言うか…と…とにかく
済まなかった…。悪気は無いんだ……」
今にも泣き出しそうな顔のまま、そう必死に説明する。ヤムチャはヤムチャで
『裸を見られるのは平気なくせに、少し触れられただけでこんな大騒ぎなんて
オンナノコってワケワカンナイ』
などと平和な事を考えていた…。
そうして二人は洞窟の隠れ家に戻ると、少し遅めの夕食を取り、その後で
ヤムチャは軽く修行で汗を流した。それを見ながらマーリンはある事を心に
決める。
「ふぅ…さて、ちょっと早いけどそろそろ寝るか…」
夕方の過酷な修行が響いているのだろう。久しぶりに入った風呂で少しは
癒されたものの、やはり体力は相当に消耗している。身体は正直に休息を
求めていた。ヤムチャが眠そうに洞窟に戻ってきた。待ち構えていたように
マーリンが声を掛ける。
「トレーニングは順調なのか? ヤムチャ」
「…ん…、まぁ、順調…と言いたい所だけど、なかなか難しいな。なにせ
人造人間とやらはフリーザ以上の化け物らしいからなぁ…」
そう言ってため息ひとつつくと、ごろりと横になる。一瞬表情が険しくなる
マーリンだったが、そのままじりじりとヤムチャににじり寄る。そして
真剣な表情でこう切り出した。
「ヤムチャ。お前は今朝、自分を大した事が無いと言っていたが、それは
間違いだ。お前が宇宙でも指折りの、一流の戦士である事はわたしが保証
する」
「…なんだよ、やぶから棒に。おだてたって何にも出ないぜ?」
そのヤムチャの言葉に一瞬、ぐっ、と詰まりそうになったが、何とか続ける。
「……そのお前を、本物の戦士と見込んで頼みがある。ブジュツとやらを
わたしに教えて欲しい……!!」
第33話
思っても見なかった少女の言葉に、さすがにヤムチャも驚く。
「…どう言うことだ? お前まだ悟空を殺す事をあきらめて無いのか?」
憮然とした表情でマーリンを問い詰める。
「…確かに、その気持ちが無いと言ったらウソになる……ヤツがサイヤ人
である以上、それを消す事はわたしには難しい…」
「でも、あの男がもしサイヤ人でなければ…尊敬に値する素晴らしい戦士
だとも思う…。だから、わたしはどうしたらいいのか判らなくなった
んだ………」
訥々と少女が続ける。一生懸命に言葉を選び、様々な言葉を紡ぎながら
それをヤムチャに投げかける。
「わたしはお前が言っていたように、自分でも確かにそれほど頭はよくないと
思う。だから間違った選択なのかもしれないが…わたしはもう一度、ヤツと
戦いたい……」
「サイヤ人としてのヤツを殺すためではなく、あらゆるサイヤ人を超えた
戦士、ソン・ゴクウをさらに超えるために戦いたいんだ!」
焚き火に照らされ、少女の影がゆらゆらと揺れる。
「………」
黙って聞いていたヤムチャだったが、ぼそりと口を開く。
「…だから武術を習いたいのか…?」
「そうだ…今のわたしの力では超サイヤ人には遠く及ばない…挑んだと
しても、昨日と同じ結果だろう。戦いにすらなり得ない………」
無念そうな表情で少女が答える。昨日の無様な自分の姿を思い出して
いるのか、それともあまりの力の差を想像しているのか、かすかに身体が
震えていた。
「…勝ちたい…などとは、今のわたしにはおこがましくて到底言えない。
だからそうは言わないが、せめてヤツと戦えるだけの力が欲しい……。
お願いだヤムチャ…わたしに力を貸してくれ………!」
「………」
ヤムチャはしばらく考え込んでいた。だがすぐに結論など出せるはずも無い。
やおら起き上がると、ごそごそと寝袋を取り出す。そしてそれをマーリンに
渡した。
「……?」
「今日はお前が使え。もう遅い…話はまた明日な」
そう言って小汚い毛布にくるまり、横になるヤムチャ。
マーリンも寝袋にすっぽりと収まった。実際のところ、少女のまとう戦闘服は
温度調節機能もあり、何も無くとも問題はないのだが、不思議な暖かさが
彼女を包んでいく。ふっとヤムチャの匂いが鼻をくすぐる。しかし不快では
なかった。心と身体を満たしていく暖かさに包まれながら、ゆっくりと少女も
眠りに落ちていった。
第34話
翌朝、朝食を取りながらヤムチャが、ゆっくりと口を開いた。
「昨日の話だが……教えてやってもいい……」
それまで黙々とスプーンを口に運ぶだけだった少女の顔がぱっと輝く。
「……!! 本当かヤムチャ!!」
しかしヤムチャは、厳しい表情のまま続ける。
「ただし…いくつか条件がある。それが守れるなら、な」
「まず、俺の言う事は絶対に守る事。反論はダメだ。質問は構わないけど
それに答えるとは限らないからな」
うんうんと真剣にうなずくマーリン。
「それと…もし万が一にでも、悟空に勝てそうになっても、絶対に殺さない
事。どうだ? 守れそうか?」
2つめの条件に、一瞬ぴくりと身体が反応したものの、心を落ち着け、
はっきりとマーリンが答える。
「…問題無い。そのふたつだけでいいんだな?」
「ああ、それを守れるって約束できるなら、お前に協力してやる。まぁ
ほとんど無駄だとは思うけどな……」
今にも踊りだしそうな表情のマーリン。今の少女の心には、修行の事よりも
ヤムチャの協力を得られた事の方が重要だったのかもしれない。
朝食を済ませると、ヤムチャはマーリンを連れて洞窟を後にする。少し
開けた場所に着き、少女の方に向き直って口を開く。
「よし、それじゃ今日からさっそく修行するぞ。あらかじめ言っておくけど
もし俺が見切りをつけたら、その時点で修行は終わりだからな。俺も自分の
修行をしなくちゃいけないんだ」
こくりと頷くマーリン。
「…わかった。それでどう言うトレーニングをするんだ?」
そう言いながら、これからのすさまじい修行を想像したのか、無意識の内に
少女の身体からエネルギーが溢れ出す。
「…あー、落ち着け。気…力を抜け」
そう言って近くに転がっていた石をひとつ、ひょいと持ち上げると、それを
マーリンに手渡す。
「そいつを割ってみろ。腕力だけでな」
第35話
ずしりとした、石と言うよりは岩の欠片の手渡され、マーリンがぽかんと
した表情を浮かべる。
「…はやくしろ。時間がもったいない」
そう急かされ、あわてて石に視線を戻す。ヤムチャの意図は判らないが、
とりあえず言われた通りにエネルギーを抑え、右腕を振り上げて左腕に
持った石に叩きつけた。
…ぺきっ…
「いっ……た……ぁ……」
そう言いながら目に涙を浮かべるマーリン。石はびくともしていなかった。
思わず石を落とし、右手をおさえている。
やっぱり……とヤムチャは思っていた。この少女はエネルギーこそ凄まじい
ものの、肉体そのものは普通の女の子と大差無いのだ。おそらく、持って
生まれたパワーだけで今まで戦い抜いてきたのだろう。
思わず座り込んでしまったマーリンにヤムチャが声を掛ける。
「マーリン…お前、戦い方は誰に習ったんだ?」
いまだ涙目のまま、少女が答える。
「……誰かに教えてもらった事はほとんど無い…。他の戦士の戦いを見て
見様見真似で覚えたぐらいだ……」
予想通りの答えに、ため息をつくヤムチャ。これは本当に基礎の基礎から
始めないとな…と、もうひとつ大きなため息をついた。
「よし、じゃあまずは肉体の鍛錬からだ。その場で腕立て100回!」
「…そんな訓練は必要無いだろう…。それよりも早く戦闘力をコントロール
する技を教えてくれ…!」
理不尽とも言えるヤムチャの命令に、思わず不服の声を上げる。しかし、
「俺の言う事には絶対従う事だったはずだぞ。嫌なら修行はここまでだ」
「ぅぅ………」
そう言えばそんな約束だった。仕方なくのろのろとうつぶせになり、姿勢を
とる。
「よーし。いーち、にー…」
ヤムチャの掛け声に従って腕を曲げ、伸ばしていく。何でこんな事に……
少女はほんの少し、修行を申し出た事を後悔していた。
第36話
荒野にヤムチャのかけ声と、マーリンの苦しげな息遣いが響く。
「じゅーきゅー…、にじゅー…、ペースが落ちてきてるぞ!!」
「ぐぐっ……くっ……」
少女の細い両腕がぶるぶると震えている。今の今までここまで肉体
のみを酷使した事など無かったし、必要も無かったマーリンに取って
まさに苦行、荒行だった。
無意識の内にエネルギーが身体の内側からじわりと湧き出す。すっと
身体が軽くなるが、それを感知したヤムチャの叱咤が飛ぶ。
「気は使うなって言っただろ! 筋力だけでやるんだ!!」
たっぷり一時間以上が過ぎたあと、どうにかこうにかマーリンは腕立て
100回をやり終えた。そのまま地面にべちゃっと倒れこむ。もう身体を
起こす事も出来ないほど、少女の腕は限界を超えて酷使されていた。
しかし、知った事ではないとばかりにヤムチャが新たな命令を下す。
「ん。じゃあ、しばらくしたら次は腹筋な」
そう言って近くの岩に足の先を引っ掛け、手本を当たり前のように軽々と
こなしてみせる。
「ほらほら、さっさとやらねぇと日が暮れちまうぞ」
そう急かすヤムチャに、マーリンは段々と怒りが込み上げてきた。ゆらり、
と、少女の周りの空気が揺らめく。
「…いい加減にしろ……こんな訓練など無意味だ…!」
何とか身体を起こして、ヤムチャを睨みつけるマーリン。しかしヤムチャは
その視線を流して言い放つ。
「無意味かどうかはお前が決める事じゃない。お前は悟空を越えるんじゃ
無かったのか? 俺もあいつもこうやって強くなったんだ」
「………っ…」
その言葉に、マーリンはすんでのところで冷静さを取り戻す。そしていまだ
納得はしていない風だが、それでもヤムチャの指示に従う。
「よし、じゃあこれも100回だ。いいか?いくぞ? いーち…にー…」
第37話
顔を真っ赤にしながら必死に身体を起こし、そしてまた地面に背を
つけるマーリン。その横でヤムチャが静かに声をかける。
「いいか…? お前ははっきり言って身体と精神のバランスが…31…
メチャクチャだ。心と肉体を一致させなければ、大きなパワーは出せ
っこない…32…」
それでもちゃんと数は数えながらヤムチャが続ける。
「そのためにはまず、自分自身の身体を完全に把握する事が重要だ。
身体の隅々にまで意識を張り巡らせ…33…精神と肉体を統一する。
そうすれば力に振り回される事も無くなるし、逆におびえて力が
出せなくなる事も無くなる…34…」
聞いている余裕など無さそうに、ひたすら荒い息を吐きながら黙々と
こなすマーリン。構わずに、さらに言葉を続けるヤムチャ。
「これは肉体の強化の鍛錬でもあるけど、自分の身体が本当に自分の
ものだって事を認識するためでもある。心だけでもダメ。身体だけ
でもダメ。ふたつが合わさってこその自分なんだ…35…」
「ふんぐっっくっ……くぅ……っ」
「苦しいか? でもその苦痛をねじ伏せるんじゃない。受け入れ、心と
身体を協調させろ」
淡々とヤムチャがアドバイスをする。しかし、到底それを聞く余裕など
少女には無かった。ただ、一刻も早くこの修行を終わらせる事だけが
彼女の唯一の希望だった。
そうして日が暮れる頃、何とか無事にマーリンの修行一日目が終了した。
結局腹筋の後にも、背筋、スクワットなどのメニューを課され、最後は
歩く事もままならない状態だったが、とにかくそれから解放された少女は
よたよたと洞窟に帰り着いた。
「お疲れさん。思ったより頑張ったな。さすがにいい根性してるぜ」
先にさっさと帰っていたヤムチャが、そうねぎらいの言葉をかける。
「言い忘れてたけど、今日からしばらくは気は使うなよ。当分は肉体の
鍛錬に集中するからな」
ひざをがくがくと笑わせながら、無言でマーリンが頷く。そして、汗と
埃にまみれたので、また風呂に行っていいかと尋ねる。
「いいけど、使っていいのは最低限の気だけだ。言っとくが、バレない
なんて思わない方がいいぞ…」
了承し、ふらふらと西の空に飛び去っていくマーリン。空を飛ぶのに
最低限のエネルギーだけを維持しようとするが、時折バランスを崩す。
大きすぎては後でヤムチャに叱られるし、少なすぎては落ちてしまう。
身体の痛みも相まって、頭がおかしくなりそうだった。
「くそ……なんでこんな事…」
ぽつりと少女は泣き言を漏らすのだった。
第38話
マーリンがオアシスに向かってから、3時間が過ぎようとしていた。最低限の
気しか使うな、と命じたせいで、上手く場所を捉える事も出来ない。
「……もしかしたら逃げたかもな……」
そうぼんやりとヤムチャは思う。今日の修行は、いわば素人の女の子に
とってはあまりに過酷なものだったと自分でも判っていた。しかし、それ
ならそれで構わないとも。
もはや少女の敵、サイヤ人はほとんど存在しないのだ。ベジータの存在を
彼女に知られていない以上、敵は悟空ただひとり。それさえあきらめれば
地球を出て、平和に暮らす事も出来るはず。あんな少女が、これ以上戦いに
その身を投じるのは間違ってる…そう考えていた。
しかし。それなら何故、自分はマーリンに武術を教えようと思ったのだ。
ヤムチャ自身にも良く判らない。
ただ単に彼女の熱意に負けただけではなかった。それはもしかしたら、
ヤムチャが失いかけていた純粋な力への情熱、あるいは悟空への対抗心
だったのかもしれない。
ちょっと前まではほとんど互角だったのに、気がつけば比較する事すら
馬鹿らしいほどの差がついてしまった悟空と自分。そしてそれを仕方無い
とあきらめている自分。だが、そんな悟空と自分以上の差があっても、なお
マーリンは悟空に敢然と戦いを挑もうとしている…自分は本当にあの少女
よりも強いと言えるのか…?
力は増しても、相変わらず自分はヘタレなのだと思う。
何が精神と肉体の統一だ。何が協調だ。師の教えの受け売りをぺらぺらと
並べ立ててマーリンに接していた自分に反吐が出る。
「…そんな事、俺にだって出来てないのによ…はは…ばっかみたい…」
その時、洞窟の入り口で、かつん、と物音がした。動物か風か、あるいは
気の毒な物盗りか。しかし、顔を上げたヤムチャの目に飛び込んできたのは
そのいずれでも無かった。
第39話
「……お前……」
そこにいたのはマーリンだった。いまだ身体が痛むのか、少しふらつき
ながら少女がヤムチャにゆっくりと近づく。
まさか帰ってくるとはほとんど思っていなかったのだろう。ぽかんと立ち
尽くすヤムチャに、マーリンがくすりと笑いかける。
「…ふふ、お前ほどの男がわたしの接近に気がつかなかったとはな。
案外お前も大した事が無いのか…それともわたしのコントロール技術も
なかなかと言う事…かな? ふふふっ…」
ヤムチャの表情を勘違いしたマーリンは、そう言いながらどっかと腰を
降ろす。
「なんで…」
なんで戻ってきた…そう言い掛けるが、すんでのところでそれをヤムチャは
押し留めた。それは少女に対する侮辱だ。
そして、また自分は昔と同じ過ちを繰り返している事に気付く。相手の姿
かたちで判断し、本質を見ようとしないのは自分の悪いクセだ。それで
何度も痛い目に会って来ているにも関わらず。
…マーリンはまぎれもなく「戦士」なのだ。例え自分よりも力が劣ろうとも、
例え外見が少女であっても、戦う事しか出来ない、戦う事でしか自分に価値
を見出せない人間なのだ。勝てない相手だからと言って、尻尾を巻いて逃げる
事など出来るはずが無い。逃げ延び、得た命などは彼女にとって路傍の石ほど
の価値も無いのだろう。
そしてヤムチャは突然理解した。なぜ自分がマーリンに武術を教える気に
なったのかを。
自分は…この少女がまぶしかったのだ。悲しいほど純粋で、そして誇り
高い、マーリンという名の宇宙から来た少女が、今の自分にとっては
まぶしすぎた。だから…………
……だから自分はそんな少女に「現実」…どうやっても悟空には勝てっこない
という事を思い知らせるために、修行を引き受けたのだ。そして現実に直面し、
打ちひしがれてその魂が輝きを失う事を望んでいた。まるで自分が辿った
道のりのように…。
自分自身でも今の今まで気づかなかった、いや、気づこうとしなかった
あまりに黒い願望に、ヤムチャは厳しい表情で立ちすくむ。
「…どうかしたのか、ヤムチャ…?」
不意にマーリンがヤムチャの顔を覗き込む。
「もしかして…さっきの言葉が気に障ったのか…? あの…あれはその…
冗談というもので……」
またもヤムチャの表情を勘違いしたマーリンが、必死になって弁明をする。
まるで父親に叱られた子供のように。そしてヤムチャもようやく我に返る。
「え…あ…マー…リン…?」
「うぅ…だから…す…すまないと言っているんだ…お願いだからわたしを
見てくれ……無視しないで…」
ふと気づけばマーリンは今にも泣き出しそうな表情でヤムチャを見つめて
いる。自分の心の内にある、得体の知れないモノを凝視し続けていたヤム
チャ。その見つめる視線の先に自分がいない事に、少女はひどくおびえて
いた。
本当に不思議な少女だ、とヤムチャは思う。こうしていると本当にどこに
でもいる少女のようであり、いや、むしろ見た目よりも幼いぐらいの精神
年齢なのに、幾多の戦場をくぐり抜けてきた程の一流の戦士でもある。命を
奪う事に何の躊躇もなく、それでいてちょっとした事にショックを受ける
ガラスのようなこころ。どちらが本当のマーリンなんだろうか…と。
第40話
しかし、己がまた馬鹿なことを考えている事にヤムチャは気づく。
それでもマーリンの本質はやはり戦士なのだ。自分との、そして悟空との
戦いを見れば判る。勝利のためならば両腕の犠牲をもいとわない人間が、
戦士以外の何者だというのか。
この癖は一生直らないかもな…とヤムチャは心の中で苦笑する。そして、
続けて心の中でマーリンに謝罪し、改めて彼女に対し、今までの非礼…
どこかでマーリンを少女だと見下していた事、同時に戦士として見て
いなかった事、そして自分自身のおぞましい願望をもって修行に接して
した事を詫び、今日からは本気でマーリンに協力することを誓った。
そう、本気で悟空を倒す。そのためにマーリンを鍛え上げる事を。
人造人間のことも先のこともどうでもいい。刹那的と人からは言われる
だろうが、マーリンの純粋さを踏みにじりかけた自分には、それだけが
唯一の贖罪と言えるのだから。
「………?」
さっきまでは暗く険しい表情をしていたと思ったら、急に真剣な顔に
なり、そうかと思ったらだんだんと笑みまで浮かべるようになっていく
ヤムチャに、マーリンの不安げな表情に拍車がかかる。
「ど…どうしたんだ…ヤムチャ……ま…まさか訓練の途中で頭でも打った
のか……?」
「ん…あぁ、なんでもないさ。それより悪かったな。一応口でも言っとくよ」
「……?………」
ますます訳が判らない風のマーリンだったが、とりあえずヤムチャが元に
戻ったようなので、少し安心したのか、泣き笑いのような表情を浮かべて
いる。
そうして我に返って、先ほどの状況と会話をぼんやりと思い返す。
確かに見事な気のコントロールだったとヤムチャは思った。自分は最低限
の気の使用は許可したが、それでもわずかにでも使っていれば、ここまで
接近されて気がつかないはずがない。
気をほとんど完全に消す技などまだ教えていないにも関わらず、少女はこの
短時間にそれを自力でマスターした事になる。マーリンのセンスは並大抵の
ものでは無い。
「これは…もしかしたらもしかするかもな…」
そう言ってヤムチャはにやりと哂う。
年甲斐も無く心が踊る。自分自身ではなくとも、自分が育て上げた戦士が
宇宙最強の超サイヤ人を倒す…その光景を想像し、ヤムチャの身体がわずかに
震えた。
「よーし!そうと決まったら明日からはビシビシいくぞ! さっさとメシ
食って寝ろ! 明日も早いんだからな! はははっ!」
もう何がなんだか判らないマーリンだった。
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