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幕末剣客伝ヤムチャ




時は幕末――

尊王と佐幕、攘夷派と開国派が互いに熱く己の主張をぶつけ合っていた時代――

そんな時代の江戸に、一人の男がいた。

第一話「ヤムチャ、颯爽と登場」

「暑ィ〜〜」
あまりの暑さに、俺は目を覚ました。そのまま手近にあった団扇を掴む。
身体を起こしながら、団扇を扇いだ。が、熱気はまったくもって引く気配を見せない。
「ったく、夏だってのはわかるが……どうなってんだよ、この暑さは!」
叫ぶと、余計に汗が出た。少し後悔しながら、周りを見渡す。
ボロッちい貧乏長屋のうちの一部屋、それがこの部屋だった。
見れば、部屋の窓や戸などはすべて締め切ってある。どおりで暑いはずであった。
「これじゃひきこもりハウスだな……」
よっ、という掛け声を上げて立ち上がり、壁に立てかけてある刀を手に取った。
それを腰に下げながら、長屋の片隅に置かれた桶へと近づく。
桶に並々と水が張られているのを確認してから、俺はその桶の中に頭を突っ込んだ。
ごくごくとぬるくなった水を飲みながら、顔も同時に洗う。
気持ちもさっぱりした所で、俺は桶から頭を出した。手ぬぐいで頭を拭き、細い縄を使って髪の毛をまとめた。
「さて、気持ちも落ち着いたところで、道場にでも顔を出すか……」

俺はのんびりと大通りを歩いていた。
辺りには、様々な人がそれぞれの目的を持って歩いている。

ここ江戸には、全国各地から様々な人間が集まっている。
そのせいか、丁髷を結うこともなく、だらしなく伸ばした長い髪をただまとめているだけの大男――しかも、腰には大振りの刀を差している――を見ても、気に留めるものは誰一人としていない。
……まぁ、その大男とは俺のことであるが。
俺の名はヤムチャ。生まれはこの国ではなく、別の国から渡ってきた渡来人だ。
渡ってきた、と言っても、自分の意思で来たわけではない。赤ん坊の頃、この国に偶然流れ着いただけだ。
恐らく、自分は捨てられるか何かしたのだろう。

気付くと、俺の手は自然と腰の刀に伸びていた。
この刀は、この島に俺が流れ着いたときに俺が握っていた物らしい。
そんな記憶はまったく無いが、拾ってくれた恩人がそう言っているのだからそうなのであろう。
刀の銘は「狼牙」。狼の牙をモチーフにして作られたようにも見えることから「狼牙」と名づけられた。
ちなみに、俺の名前「ヤムチャ」もその恩人がつけてくれたものだ。

……と、俺が昔のことを懐かしみながら――と言っても、覚えてはいないのだが――歩いていると
「キャー!」
なんて、典型的な「悲鳴」が裏通り辺りから聞こえてきた。

俺は、急いで路地裏に駆けつけた。
ここは昼間でも真っ暗で、犯罪の発生率が特に高い。
先日も「尊皇攘夷」の名の元に異国の人間や国賊を斬る「天誅」が行われていた。
そんな場所から悲鳴が――しかも、恐らくは若い女性のもの――が上がったのだ。すぐに駆けつけるのが当然だろう。
だが、俺が近づくのに感づき隠れたのか……路地裏には、誰もいなかった。

「何だ、オレの空耳だったのか?」
不審に思いながら、路地裏の闇にじっと目を凝らす。
そのまま神経を集中させ、気配を探った。
……と、かすかだが「人の息」が聞こえてくる。
俺はその音のするほうへと素早く目を向けた。それと同時に地面に転がっている小石を、息が聞こえたほうへと蹴り飛ばす。
「いてっ!」
石が当たったのか……まったく緊張感の無い声が、やはり気配のあった場所から上がった。

「お主、いきなり何をするのだ!」
そこにいた男が立ち上がり、こちらを睨む。その手にはしっかりと刀が握られていた。
「返答しだいでは……ただでは済まさんぞ!」
叫び、その手に握った刀を鞘から抜く。
スラッと子気味のいい音を立てて抜かれたその刀身は、ところどころ刃毀れし、ボロボロだった。
どうやら、この男はそんなボロで本当に俺を斬れると思っているらしい。
――この、俺を。

自然と、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。
クックックッと、どうやら声に出して笑っていたらしい。男が不気味そうにこちらを見た。
何か言わなければと思ったが、考えるのが面倒くさい。
結局口から出た台詞は、俺が本心――心の底から――思っていることだけだった。
「そんなボロボロの刀で、本当に俺を殺せると思ってるのか?」
笑いながら言って、男に近づく。近づきながら、俺は腰に下げていた刀を抜いた。
輝く刀身を隠そうともせず、刀が抜かれる。

「貴様……武士の魂を愚弄しおったな! 覚悟ッ!」
叫んで、男が飛び込んでくる。その動きはただ直線的な単純なものだ。
――確かに、あれなら一般人くらいは殺せるだろう。だが、俺には遅い――!
飛び込みながら突きを放ってきた男の剣先を、俺は右に跳んで避けた。
そのまま男の肩口に強烈な振り下ろしをお見舞いする。
あれだけ威勢のよかったその男は、そのたったの一撃であっさりと昏倒した。

「勝負あったな……さて」
男が起き上がらないのを確認しながら、俺はもうひとつ感じた気配のほうへと目を向けた。
「そろそろ出てきてもいいんじゃないか? こっちには敵意なんてないからさ」
なるべく優しく聴こえるように言う。そこにいる人間に敵意の無いことはわかっていた。
だからであろう。案の定、俺が目を向けているところから一人の人間が姿を現した。


「よう、あんたがさっきの悲鳴の主かい?」
出て来た人間を見つめながら、聞く。
「え、ええ……あの、あなたは?」
「俺はヤムチャ。端正な顔立ちをした男前、ヤムチャだ」
自己紹介をしながら、俺は彼女近づいた。
しゃがんで、倒れている彼女の手を取り立ち上がらせる。
「あの、ありがとうございました」
顔を赤くしながら目の前の少女は俺に感謝の意を述べた。
「それじゃあ、これで失礼します」
言って、彼女は路地裏の入り口――つまり、大通り――へと走っていった。
だが、俺は彼女の名前を聞いていないことに気付き、彼女の背中に言葉を投げかける。
「君の名前はなんて言うんだい!?」
それを聞いて彼女は振り返った。顔に満面の笑みを――ひまわりのような――浮かべて、こちらに手を振りながら言った。
「ブルマです!」
それだけ言うと、彼女は大通りへと……今度こそ、走り去っていった。

それを見送り、俺は視線を倒れている男に向けた。
「う……うう……」
峰打ちだったお陰か、男は死んだわけではないようだった。
少し安心してため息をつき、俺もこんな路地裏からはとっととおさらばすることにした。


続く